
三千院(さんぜんいん)(SanzenIn)
三千院(さんぜんいん)は、京都市街から北東山中の、貴人や仏教修行者の隠棲の地でもあった大原の里にある
延暦寺を開いた伝教大師 最澄が、東塔南谷に草庵を開いたのが由来
大原魚山の来迎院、勝林院、往生極楽院などの寺々を管理するために大原に設けられた政所が前身
2月は椿、6月は紫陽花(あじさい)、4月は石楠花の名所
三千院:目次
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基本情報
所在地:京都市左京区大原来迎院町
天台宗の寺院
山号:魚山(ぎょざん)
本尊:薬師瑠璃光如来
創建:伝教大師 最澄
開山:承雲(じょううん)
通称:三千院門跡(さんぜんいんもんぜき)、梶井門跡、梨本門跡、梶井御所
天台宗三門跡の一つ(青蓮院・妙法院)
Map 情報
【基礎知識】
三千院(さんぜんいん)は788年(延暦7年)に天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄が比叡山に延暦寺を創建した際、東塔南谷に自作の薬師如来像を本尊とする円融房(えんにゅうぼう)を建立したのが起源です。その後第3代天台座主の慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が引き継ぎ、平安時代後期以降は皇室や摂関家の子弟が入寺する宮門跡になりました。三千院は比叡山内から近江坂本・洛中へと移り、1871年(明治4年)以降は現在の場所に移りました。
※往生極楽院(重要文化財)は元々三千院とは無関係だったが、1871年(明治4年)に三千院が大原に移ってくると一部になりました。往生極楽院は間口3間・奥行き4間の小さな堂で、高さ約2.3メートルの阿弥陀三尊坐像(国宝)を堂内一杯に安置しています。
【経緯】
奈良時代後期
延暦年間(782-806年)
伝教大師 最澄が、延暦寺に根本中堂を建立したとき、東塔南谷の山梨の大木の下に草庵を建立したのが
由来といわれる
平安時代初期
860年(皇紀1520)貞観2年
承雲(じょううん)が、お堂に最澄の自作といわれる薬師如来像を安置して「円融房(えんゆうぼう)」と称する
同年、清和天皇の勅命により、比叡山山麓東の坂本(現在の大津市坂本)の梶井に、円融房を本坊とする里坊(さとぼう)が
創建され、円融院(えんゆういん)(後に「円徳院」と改称される)と称する
985年(皇紀1645)寛和元年
恵心僧都 源信が、父母のために、姉 安養尼とともに大原に極楽院を建立し、安養尼に阿弥陀三尊を給仕させたといわれる
1086年(皇紀1746)応徳3年
東坂本梶井の里に、白河天皇の中宮 藤原賢子(ふじわらけんし)の菩提を弔うために円徳院が建立され、
円融房の里坊 梶井とされる
1118年(皇紀1778)元永元年
最雲法親王(さいうんほうしんのう)(堀川天皇の第二皇子)が、皇族として初めて梶井に入室される
平安時代末期
1130年(皇紀1790)大治5年
最雲法親王が、円徳院の門主 梶井14世となる
以来、「梶井門跡」と称されて、天台宗三門跡の一つになる
近くに大きな梨の木があったため、「梨本門跡」とも称されるようになる
密教の修法である「加持」に用いる井戸「加持井」があったことから、「梶井宮」とも称されるようになったといわれる
1156年(皇紀1816)保元元年
最雲法親王が天台座主に任命される
同年
大原に梶井門跡の政所(まんどころ)(管理事務所)が設置され
大原にあった来迎院、勝林院などの寺院の管理が行われる
また、大原付近に隠棲していた念仏行者の取り締まりも行ったといわれる
1173年(皇紀1833)承安3年
顕真が、別当代として竜禅院(現在の客殿)に住む
1186年(皇紀1846)文治2年
後白河法皇の大原御幸
顕真、法然上人を勝林院に迎え念仏業を論ずる(後に「大原問答」といわれる)
1190年(皇紀1850)建久元年
顕真が、天台座主となる
1232年(皇紀1892)貞永元年
里坊の円徳院が火災で焼失し、坂本から洛中に移転される
その後、洛中や東山を転々とする
1249年(皇紀1909)建長元年
梶井の円徳院が再建される
1331年(皇紀1991)元弘元年
梶井御所が、淳和天皇の離宮雲林院の跡といわれる船岡山の東麓に移転する
応仁の乱で焼失
1659年(皇紀2319)万治2年
後水尾法皇と東福門院が、大原御幸
極楽院を仮御所として勝林院で憲真法印から融通念仏を受念される
1698年(皇紀2358)元禄11年
慈胤法親王が、将軍 徳川綱吉から、御所の東側 御車道広小路に寺地 二万坪を与えられ、御殿(本坊)とし、
以後、歴代の法親王は本坊に住まわれる
現在の上京区梶井町で、跡地には京都府立医科大学と附属病院が建っている
1871年(皇紀2531)明治4年
現在の地の大原の政所に移転し、「三千院」と改称する
「三千院」の名称は、梶井門跡の仏堂の名称「一念三千院」に由来する
「一念三千」とは、天台大師 智顗(ちぎ)の「摩訶止観」にある教義の一つ
三千院 弁才天 鳥居弁才天 鳥居三千院 妙音福寿大弁才天妙音福寿大弁才天三千院 草木供養塔草木供養塔三千院 石碑群石碑群
三千院 宝経塔宝経塔三千院 西方門西方門三千院 西方門 扁額西方門 扁額三千院 朱雀門朱雀門三千院 白壁白壁
【伽藍】
自然の地形を巧みに利用した境内に、城郭を思わせる寺周囲の石垣や白い土塀、門構などが門跡寺院の風格を現している
正門にあたる南側の朱雀門は常時閉じられており、西側の御殿門から出入りする
3つの庭園は、楓(カエデ)の紅葉の名所になっている
<御殿門>
「紅葉の馬場」に面して高い石垣に囲まれた大きな門
政所としての城廓、城門を思わせる構え
2003年(皇紀2663)平成15年秋に、修復される
<客殿>
かつての竜禅院
1173年(皇紀1833)承安3年
顕真が、別当代として竜禅院に住む
豊臣秀吉の建立
慶長年間(1596〜1615年)に建て替えられた旧御所の旧材が用いられている
障壁画は近代日本画の巨匠 竹内栖鳳・下村観山・望月玉泉・菊池芳文などの作
<宸殿(しんでん)>
法儀が行われるところ
白木造り、御所の紫宸殿の外観が模されている
1926年(皇紀2586)大正15年
三千院の最も重要な法要である宮中御懴法講の道場として建立される
中の間には、本尊の伝教大師 最澄作の秘仏 薬師瑠璃光如来像
向かって右には、歴代天皇の尊牌、左には歴代法親王の尊牌が祀られている
本尊 薬師如来像は、非公開の秘仏だが、2002年9月8日〜10月8日に開扉されたことがある
西の間には、木造 救世観音半跏像(重要文化財)、木造不動明王立像(重要文化財)などが安置される
東の間には、下村観山の作の虹の襖絵がある
柱に伝教大師 最澄の言葉「等持定理青苔地、円覚観前紅葉林」が掲げられている
南には、有清園(ゆうせえん)の中の「瑠璃光庭」と称される苔庭がある
<往生極楽院 阿弥陀堂(重要文化財)>
本堂
往生極楽院は、平安時代末期から、大原の地にあったもので、三千院とは別の寺院だった
986年(皇紀1646)寛和2年
恵心僧都 源信が、父母のために、姉 安養尼とともに往生極楽院を創建したといわれる
1148年(皇紀1808)久安4年
阿弥陀堂は、高松中納言実衝(さねひら)の妻 真如房尼が29歳の若さで夫を亡くし、供養のために建てた常行三昧堂と
いわれる
真如房尼は、90日間休まず念仏を唱えながら、ひたすら仏の周りを回る不眠不臥の業を約30年間も続けたといわれる
単層入母屋造、柿葺(こけらぶき)、妻入の建物
間口3間、奥行き4間の小さなお堂
船底天井(船底のような形状に板を貼り、中央部を高くした天井)がある
像高2.3mの阿弥陀三尊坐像(国宝)が堂内一杯に安置されている
中央が阿弥陀如来坐像、向かって右に観世音菩薩、左に勢至菩薩が安置されている
壁画は、胎曼荼羅・二十五菩薩・飛天雲中供養菩薩・宝相華(極楽の花園の図)などの極彩色の絵
<朱雀門>
往生極楽院の南側にある朱塗りの小さな門
往生極楽院を本堂としていたときの正門
平安時代の様式
江戸時代の再建
<西方門>
朱雀門の西にたつ
<金色不動堂>
智証大師の作といわれる秘仏の本尊 金色不動明王立像が安置されている
1992年(皇紀2652)平成4年
主に護摩祈祷が行われる三千院の祈願道場として建立される
<観音堂>
石庭二十五菩薩慈眼の庭の横にたつ
身の丈3mの金色の観音菩薩像が祀られている
両側には、縁を結ばれた方の小観音菩薩像が安置されている
1998年(皇紀2658)平成10年の建立
<聚碧園(しゅうへきえん)>
客殿の南側にある池泉回遊式庭園
律川からの清流が流れ込んでいる
冬でも凍らないという、華厳音愛(けごんおんあい)の手水鉢がある
自然の美しさに感動した茶人 金森宗和(かなもりそうわ)が修復したといわれている
杉木立ちの間に見透かすようにあり、サツキの刈込も美しい
<瑠璃光庭(るりこうてい)>
宸殿の南側の往生極楽院に通じる杉苔で覆われた庭
江戸時代初期の作庭
<有清園(ゆうせいえん)>
宸殿の東側の雄大な池泉回遊式庭園
庭一面に苔が密生し、スギ・ヒノキ・ヒバなどの立木が並ぶ
山畔を利用した三段式の「細波の滝(さざなみのたき)」から水が流れ込んでいる
所々には、お地蔵さんが苔のなかに安置されている
春には石楠花の淡い色が園内一面を染めるなど、一年中、四季折々の花が楽しめる
往生極楽院が立つ
江戸時代初期
茶人 金森宗和の作庭といわれる
<紫陽花苑>
往生極楽院を過ぎて、金色不動に向かう参道脇に数千株の紫陽花(あじさい)が植えられている
<石庭二十五菩薩慈眼の庭>
補陀落浄土を模して二十五菩薩が安置されている
横には観音堂がある
<阿弥陀如来石仏>
あじさい苑内の、律川のほとりに安置されている
高さ2.25m、幅1.8mの花崗岩の石仏
高さ30cmの単弁の蓮華座に定印結跏趺坐(けっかふざ)している
背後の無地の二重光背は、自然石のままとなっている
木彫の手法で彫られている
鎌倉時代中期の作
京都市で最大最古の石仏といわれ、「大原の石仏」とも称される
<涙の桜>
往生極楽院脇の苔庭の老樹
室町時代の歌僧 頓阿が、この桜を見て「見るたびに袖こそ濡るれ桜花」と詠んだことが由来
<妙音福寿大弁才天>
弁才天は、仏教の守護神である天部の1つ
七福神の一人
仏教においては、妙音菩薩(みょうおんぼさつ)と同一視されることもある
有清園内の弁天池に注がれる金色水は、「福寿延命」の水とされる
<草木供養塔>
金色不動堂前の杉木立の中に立てられている
1993年(皇紀2653)平成5年3月15日
第61世 小堀光詮門主の建立
長崎産六方石(玄武岩)全長6m(地下1.5m)
<宝経塔>
<売炭翁旧跡>
売炭翁とは、炭の生産販売に従事する人たちのこと
このあたり一帯は、小野山の中腹にあり、昔は炭を焼く炭竈があった
「炭竈のたなびく煙ひとすじに 心細さは大原の里 (寂然法師)」
【寺宝】
<阿弥陀三尊坐像(国宝)>
往生極楽院の本尊
阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の三尊が西方極楽浄土から亡者を迎えに来る(来迎)形式の像
中央は、来迎印を結んだ阿弥陀如来
両脇侍の観音菩薩・勢至菩薩は、蓮台に大和坐り(やまとずわり)(正座)をしている珍しい像
平安時代末期の源信作といわれる
<観音菩薩坐像(国宝)>
往生極楽院の阿弥陀三尊坐像の右脇侍
蓮台に大和坐り(やまとずわり)(正座)をしている珍しい像
膝を少し開き、やや前屈みで両手で蓮台を捧げている
<勢至菩薩国宝)>
往生極楽院の阿弥陀三尊坐像の左脇侍
蓮台に大和坐り(やまとずわり)(正座)をしている珍しい像
膝を少し開き、やや前屈みで合掌している
檜(ヒノキ)の寄木造
胎内から平安時代末期の1148年(皇紀1808)久安4年の墨書が発見された
大和坐り(やまとずわり)(正座)
正座は江戸時代にあった武士の作法としてあったが、それ以前に「大和坐り」はあったといわれる
亡くなった方を直ぐに迎えできるというスタイル
<金色不動明王立像>
金色不動堂の本尊
「出世金色不動明王」と称され、開運出世・合格祈願・良縁・社運隆盛・事業の成功などが祈願される
厳しい表情の顔、両肩から全身にみなぎる力感で強く締まった体
平安時代の智証大師円珍の作といわれる
秘仏とされ厨子の中に安置されてきていた
<毘沙門天立像>
宸殿
岩上に腹這う邪気を両足で踏んで立っている
全身を甲冑で被い、頭に宝冠をいただき、右手に三叉戟、左手に宝塔を支えている
<阿弥陀三尊立像>
宸殿
小像の阿弥陀三尊立像です
中央の阿弥陀如来は、通肩の納衣で、右手は施無畏印、左手は与願印を結んでいる
<如意輪観音菩薩坐像>
宸殿
六観音の一つ
如意宝珠で衆生の迷いを破る菩薩ともいわれている
<救世観音半跏像>
宸殿の内仏殿
開基 伝教大師 最澄からの60世以上の歴代門主の霊牌と共に祀られている
1246年(皇紀1906)寛元4年の作
飛鳥・白鳳時代の様式を忠実に再現された木造仏
<阿弥陀二十五来迎図>
中心の阿弥陀如来が、皆金色(かいこんじき)に載金模様(きりがねもよう)の衣をまとい来迎印を結んでいる
二十五菩薩も、同じく皆金色の載金模様の衣をまとっている
彩色の地蔵、龍樹の僧形の二菩薩などが来迎する様子が描かれている
<阿弥陀聖衆来迎図>
先頭に蓮台を捧げ持つ観音菩薩と、合掌する勢至菩薩、来迎印の阿弥陀如来の後に、合掌して座す五人の菩薩と
二人の僧形、その後ろに十人の音声菩薩が従う
周囲には、雲に乗った仮仏や虚空に舞う蓮弁が描かれている
<紙本墨書 声明口伝(重要文化財)>
1238年(皇紀1898)嘉禎4年2月9日
宗快法印が大原の草庵で記述した声明図譜
<紙本墨書 音律(重要文化財)>
声明の音階を譜図を用いて体系的に著したもの
1295年(皇紀1955)永仁3年5月6日
魚山末学の円珠房喜淵が小山殿本願院で書写したもの
【祭事】
<修正会(しゅしょうえ)>
1月元日
宸殿(しんでん)
これまで犯した三業(身・口・意)の罪や過ちを懺悔し、正しい行いをするという翻邪修正(ほんじゃしゅうせい)が行われ、
国家安穏・天下泰平が祈願される
出仕の僧侶により、「法華三昧(ほっけざんまい)という声明が唱えられる
<左義長(さぎちょう)>
1月15日
金色不動堂前広場
「お焚き上げ」「どんど焼き」とも称される
本来は 宮中における小正月の火祭行事
正月の松や注連飾り、全国から寄せられた古い祈祷札やお守りなどが焚き上げられる
御札発遣法(おふだはっけんほう)により、罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)と今年の無病息災が祈願される
仏さまにお供えした鏡餅を開き、厄除けの「おぜんざい」として接待される
<金色不動尊(こんじきふどうそん)初縁日護摩供(はつえんにちごまく)>
1月28日
金色不動堂
不動明王の大慈悲は、広大無辺にしてその加持力は普く衆生に及び、人々の煩悩を護摩の浄火で焼き尽くし、
人々の諸願を成就するといわれる
加持祈祷法要により、護摩壇の爐中に火を燃やし供物・乳木(にゅうぼく)五穀を焼いて聖尊に供養する修法で、
智慧の火で煩悩、一切の悪業の薪を焼き尽くす
毎月28日はお不動さまの縁日
正月28日の初縁日は、「千日参りの日」と称され、千日参拝したのと同じ功徳を授かり、一年間の開運が約束されるといわれる
<節分会(せつぶんえ)>
2月節分
法要 宸殿(しんでん)・豆まき 金色不動堂
早朝より僧侶が般若心経を一年の日数分を唱え(日数般若心経讀誦(にっすうはんにゃしんぎょうどくじゅ)息災が祈願される
<初午大根焚き(はつうま だいこんだき)>
2月初午の日
金色不動堂前広場
不動護摩供により、無病息災・開運招福が祈願される
出世金色不動明王のご加護とご利益をいただけるよう祈祷された大根焚きが行われる
<涅槃会>
2月15日
宸殿(しんでん)
お釈迦様の入滅の様子が描かれた「涅槃図」を掲げて、その遺徳を偲ぶ常行三昧(じょうぎょうざんまい)の法要が行われる
五色豆の授与も行われる
<星供(ほしく)・星祭(ほしまつり)>
2月28日
金色不動堂
ご自身との深い星を供養し、祈願する
星供法要は、密教法要で、午前11時に金色不動堂の全ての戸を閉め、明かりを遮断し、暗闇の中に蝋燭を灯して
大宇宙の星空を密壇の上に顕現させる法要
「北斗法」「本命星供私記」「宿曜経」などの星に関する密教のお経が、鎌倉時代より伝承されている
<春季彼岸会(しゅんきひがんえ)>
3月20日(春分の日)
宸殿(しんでん)
法華懺法(ほっけせんぼう)と例時作法(れいじさほう)が交互で行われ、禅定を組んで沈む夕陽を見つめ、
西方の彼方におられる阿弥陀如来と極楽浄土の様子を想い浮かべる
<写経会(しゃきょうえ)>
3月28日
円融房(えんゆうぼう)
供養のために経文を写す如法写経(にょうほうしゃきょう)の法要が行われる
<花まつり・降誕会(ごうたんえ)>
4月8日
宸殿(しんでん)
釈尊の誕生を讃嘆して営まれ、仏生会(ぶっしょうえ)潅仏会(かんぶつえ)と称される
花御堂をしつらえて中に誕生仏を安置し、雨と降った甘露を象徴するものとして「甘茶」を像にかける
平安時代には五種類の香水(五色水)が注がれていたが、江戸時代に甘茶に替わったといわれる
甘露は、飲むと不老不死になるという霊薬で、諸天の常用する飲み物といわれる
<草木供養法要>
4月12日
金色不動堂
諸天の神々を招き集めるための声明が唱えられる
<不動大祭>
4月28日
金色不動堂の本尊、金色不動明王立像の特別御開扉が行われる
不動大祭開白・百味供養護摩供法要(ひゃくみくようごまくほうよう)
僧侶が読経する中、参拝者らによって、金色不動明王に息災を感謝して果物や茶葉など多彩な食材が供えられる
護摩炊きも行われ、無病息災や家内安全が祈願される
<御懺法講(おせんぼうこう)>
5月30日
宸殿(しんでん)
懺法は、自ら知らず知らずのうちにつくった諸悪の行いを懺悔して、心の中の「むさぼり・怒り・愚痴」の三毒を取り除き、
心をさらに静め清らかにするという、天台宗にとって最も大切な法要儀式
門主が導師を勤め、山門(延暦寺)と魚山(大原寺)の僧侶が式衆として出仕し、歴代天皇の御回向である御懴法講が
厳かに行われる
1157年(皇紀1817)保元2年
後白河天皇が御所の仁寿殿において、宮中御懺法講として行われた天皇家の回向法要が由来といわれる
「声明法」と称される雅楽と声明による平安時代の古儀にのっとり、約2時間の宮中の伝統法要が再現される
<あじさい祭>
6月中旬〜1ヶ月間
金色不動堂
降魔折伏の大般若経転読会、炎と煙による息災祈願の採灯大護摩供法要(さいとうごまくほうよう)が行われる
本山修験宗 総本山 聖護院門跡から大導師を迎えて、法剣・法弓・斧の作法など、
修験道の古儀に則った法要が行われる
僧侶が経本を転読することによっておこす風と、僧侶が喝破する「降伏一切大魔 最勝成就」の声で、
世界平和・家内安全・当病平癒・除災招福などのご利益が与えられる
奥の院あじさい苑
ホシアジサイやヤマアジサイなど3000株以上の紫陽花(あじさい)がある名所
<盂蘭盆会施餓鬼法要>
7月15日
宸殿
かつて僧侶に百味の飲食(おんじき)を捧げて供養したのが由来
現在では、先祖の霊に飲食を供え、餓鬼(がき)に供物をほどこす施餓鬼会が行われる
三千院門主が、大導師となり天台密教の秘法である光明供(こうみょうく)を行い、
僧侶が天台声明の大曲である「九条錫杖(くじょうしゃくじょう)」を唱え、錫杖師(しゃくじょうし)が各条ごとに錫杖を振り鳴らし、
三界万霊すべての霊を成仏に導き、世界平和と人類の幸福が祈願される
三千院では「九条錫杖」の九条全曲が唱えられる稀な法要とされる
<万灯会法要>
8月14・15日
奥の院・不動堂・観音堂前広場を中心に境内全域
一万本の灯明を灯して、先祖の精霊を回向される
<放生会>
8月28日
金色不動堂(大般若転読会)・往生極楽院東側の放生池(放生会)
中国 天台山で修行をしていた天台大師 智顗禅師(ちぎぜんじ)が、天台山の麓にいる漁民が必要以上に魚を捕り、
無用となった魚を棄てる殺生が行われており、その地域では遭難が多く発生していたといわれる
智顗禅師は、放生池を作り、慈悲の心を教えて魚を池に放つことを行わせたところ平和な日々を送れるようになったと
いわれるのが由来
<秋季彼岸会曼荼羅供・越中おわら踊り>
9月秋分の日
宸殿・金色不動堂前広場
三千院門主が密教の修法をしつつ、僧侶が声明を唱えて諸尊諸仏を供養する
曼荼羅供法要で唱えられる声明は「天台声明の華」と称されるように華やかな趣きがあるといわれる
三年を一周期として「胎蔵界」「金剛界」「金胎両界」の曼荼羅供法要が行われる
<観音大祭百味供法要(かんのんたいさいひゃくみくほうよう)>
10月18日
観音堂
百味の穀物・野菜・果物・乾物などを観音菩薩の御宝前にお供えして、一年間の感謝と、これからの一年間の幸福を祈願する
<もみじ祭>
10月28日〜11月28日
金色不動堂 境内一円
通常は非公開の仏像や古文書などが展示され、秘仏金色不動尊開扉護摩供が行われる
<托鉢寒行(たくはつかんぎょう)>
12月23日
大原地区一帯
托鉢は、仏道修行に励むための十二の実践項目「十二頭陀行(ずだぎょう)>のひとつ
僧侶が鉢を携えて町や村を歩き、食を乞う
三千院 紫陽花苑紫陽花苑三千院 紫陽花苑紫陽花苑三千院 紫陽花苑紫陽花苑三千院 紫陽花苑紫陽花苑
【声明】
声明は、寺院で行われる法要儀式で、経文に音曲をつけて歌詠される仏教儀式音楽
日本音楽の源流といわれる
インドのバラモン僧が、一般教養として修得すべき五つの実践的な学問「五明」の一つ
慈覚大師 円仁が、中国 五台山や唐の都で行われていた仏教儀式音楽(五会念仏)を延暦寺に伝えた
慈覚大師 円仁は、多くの声明曲を五曲(長音供養文・独行懺法・梵網戒品・引声念仏・長音九条錫杖)に分けて
弟子に伝えられた
1097年(皇紀1757)承徳元年
聖応大師 良忍上人によって、大原で体系的に整理され、集大成された
【その他】
<呂川(りょせん)と律川(りつせん)>
三千院を挟んで北側に「律川(りつせん)」、南側に「呂川(りょせん)」と称される小さな川が流れている
声明の里である大原にちなみ声明の呂(呂旋法)と律(律旋法)から名付けられている
呂曲(呂旋法)を律旋法で唱誦するときに、うまく呂と律の使い分けが出来ないことを「呂律(ろれつ)が回らない」と言われる
律川を渡ったところに、石仏があり、上流に実光院・宝泉院・勝林院があり、さらに上流には音無の滝がある
呂川に沿って朱雀門があり、上流に来迎院・蓮成院・淨蓮華院・聖応大師良忍廟がある
<JR東海「そうだ 京都、行こう。」>
2008年(皇紀2668)平成20年の秋のキャンペーンで、
「紅葉の中で仏さまに出会ってしまいました。急いでケータイを切ります。あしからず。」 と紹介される
【アクセス】
京都バス 大原 徒歩約10分
現在の地の大原の政所に移転し、「三千院」と改称する
「三千院」の名称は、梶井門跡の仏堂の名称「一念三千院」に由来する
「一念三千」とは、天台大師 智顗(ちぎ)の「摩訶止観」にある教義の一つ
一念三千
法華経の諸法実相を分別して説いた教えが、「十如是の法門」であり、
この十如是の法門と十界互具、三世間の概念から説かれたのが
「一念三千」です。
●十界×十界×十如是×三世間=三千
三千とは、この宇宙全体を表す言葉です。
一念とは、瞬間的な念のことですので、私たちの一念の中に宇宙全体が具わっていることを言います。
【伽藍】
自然の地形を巧みに利用した境内に、城郭を思わせる寺周囲の石垣や白い土塀、門構などが門跡寺院の風格を現している
正門にあたる南側の朱雀門は常時閉じられており、西側の御殿門から出入りする
3つの庭園は、楓(カエデ)の紅葉の名所になっている
【弁財天】
弁財天は往生極楽院から金色不動堂に向かう参道脇に祀られています。弁財天は京都ゑびす神社(恵美須神社)恵美須・妙円寺(松ヶ崎大黒天)の大黒天・毘沙門堂の毘沙門天・長楽寺の布袋尊・護浄院の福禄寿・行願寺の寿老人とともに京の七福神になっています。
御殿門
「紅葉の馬場」に面して高い石垣に囲まれた大きな門
政所としての城廓、城門を思わせる構え
2003年(皇紀2663)平成15年秋に、修復される
【御殿門】★
御殿門(ごてんもん)は高い石垣に囲まれた入り口にある薬医門 (やくいもん)です。御殿門は2003年(平成15年)に修復されました。なお御殿門は本瓦葺の切妻造です。
客殿★★
かつての竜禅院
1173年(皇紀1833)承安3年
顕真が、別当代として竜禅院に住む
豊臣秀吉の建立
慶長年間(1596~1615年)に建て替えられた旧御所の旧材が用いられている
障壁画は近代日本画の巨匠 竹内栖鳳・下村観山・望月玉泉・菊池芳文などの作
【客殿】★★
客殿は慶長年間(1596年~1614年)に関白・豊臣秀吉が京都御所・紫宸殿(ししんでん)を建て替えた際の旧材を使って建立されました。客殿には鈴木松年(すずきしょうねん)が描いた松龍騰空図(しょうりゅうとうくうず)、竹内栖鳳(たけうちせいほう)が描いた御殿場暮景図(ごてんばぼけいず) など京都画壇で活躍した日本画家による障壁画がありました。
(三千院 客殿・ポイント)
●障壁画は円融蔵に移されています。
宸殿(しんでん)★★
法儀が行われるところ
白木造り、御所の紫宸殿の外観が模されている
1926年(皇紀2586)大正15年
三千院の最も重要な法要である宮中御懴法講の道場として建立される
中の間には、本尊の伝教大師 最澄作の秘仏 薬師瑠璃光如来像
向かって右には、歴代天皇の尊牌、左には歴代法親王の尊牌が祀られている
本尊 薬師如来像は、非公開の秘仏だが、2002年9月8日~10月8日に開扉されたことがある
西の間には、木造 救世観音半跏像(重要文化財)、木造不動明王立像(重要文化財)などが安置される
東の間には、下村観山の作の虹の襖絵がある
柱に伝教大師 最澄の言葉「等持定理青苔地、円覚観前紅葉林」が掲げられている
南には、有清園(ゆうせえん)の中の「瑠璃光庭」と称される苔庭がある
【宸殿】★★
宸殿(しんでん)はかつて宮中行事だった儀式・御懺法講(おせんぼうこう)を行う為に京都御所の紫宸殿(ししんでん)を模して造られました。宸殿には中の間・東の間・西の間などがあります。中の間には第112代・霊元天皇による扁額「三千院」が掲げられています。宸殿は1926年(大正15年)に建立されました。なお宸殿は宮殿風寝殿造りです。
(三千院 宸殿・ポイント)
●中の間は本尊・薬師如来像(秘仏)、西の間は救世観音半跏像(重要文化財)・不動明王立像(重要文化財)などを安置しています。
●東の間には日本画家・下村観山(しもむらかんざん)が描いた虹の襖絵があり、虹の間とも言われています。
●東の間には玉座が置かれています。
往生極楽院 阿弥陀堂(重要文化財)★★★
本堂
往生極楽院は、平安時代末期から、大原の地にあったもので、三千院とは別の寺院だった
986年(皇紀1646)寛和2年
恵心僧都 源信が、父母のために、姉 安養尼とともに往生極楽院を創建したといわれる
1148年(皇紀1808)久安4年
阿弥陀堂は、高松中納言実衝(さねひら)の妻 真如房尼が29歳の若さで夫を亡くし、供養のために建てた常行三昧堂と
いわれる
真如房尼は、90日間休まず念仏を唱えながら、ひたすら仏の周りを回る不眠不臥の業を約30年間も続けたといわれる
単層入母屋造、柿葺(こけらぶき)、妻入の建物
間口3間、奥行き4間の小さなお堂
船底天井(船底のような形状に板を貼り、中央部を高くした天井)がある
像高2.3mの阿弥陀三尊坐像(国宝)が堂内一杯に安置されている
中央が阿弥陀如来坐像、向かって右に観世音菩薩、左に勢至菩薩が安置されている
壁画は、胎曼荼羅・二十五菩薩・飛天雲中供養菩薩・宝相華(極楽の花園の図)などの極彩色の絵
【往生極楽院】★★★
往生極楽院(おうじょうごくらくいん)は重要文化財です。往生極楽院は有清園(ゆうせいえん)の中にある杉苔に覆われた庭園・瑠璃光庭(るりこうてい)の中にあります。往生極楽院は元々三千院とは無関係だったが、1871年(明治4年)に三千院が大原に移ってくると一部になりました。往生極楽院は間口3間・奥行き4間の小さな堂で、天井に極楽浄土を表す天井画が描かれています。往生極楽院は平安時代末期に高松中納言・藤原実衡(ふじわらのさねひら)の妻・真如房尼(しんにょぼうに)が夫の菩提を弔う為に阿弥陀堂として建立したと言われています。1616年(元和2年)に修理され、外側は建立当時のものはほとんど失われたとも言われています。なお往生極楽院はこけら葺の入母屋造です。
(三千院 往生極楽院・ポイント)
●往生極楽院は高さ約2.3メートルの阿弥陀三尊坐像(国宝)を堂内一杯に安置しています。阿弥陀三尊は阿弥陀如来・観音菩薩(聖観音)・勢至菩薩です。
●往生極楽院はかつて極楽院と言われていたが、1885年(明治18年)に名称が改められました。
●往生極楽院には985年(寛和元年)に恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)の妹・安養尼(願証尼・がんしょう)が建立したという寺伝が残されています。
朱雀門
往生極楽院の南側にある朱塗りの小さな門
往生極楽院を本堂としていたときの正門
平安時代の様式
江戸時代の再建
【朱雀門】
朱雀門(すざくもん)は境内の南側にあり、正門です。朱雀門は重要文化財である東福寺(とうふくじ)月下門(月華門)を模した鎌倉様式の四脚門です。朱雀門は江戸時代に再建されました。
(三千院 朱雀門・ポイント)
●朱雀門はかつて正門だったが、現在は常時閉じられているそうです。
<西方門>
朱雀門の西にたつ
金色不動堂
智証大師の作といわれる秘仏の本尊 金色不動明王立像が安置されている
1992年(皇紀2652)平成4年
主に護摩祈祷が行われる三千院の祈願道場として建立される
【金色不動堂】★
金色不動堂は護摩祈祷などが行われる祈願道場です。2月28日には星まつり・春には金色不動大祭などが行われます。金色不動堂は1989年(平成元年)に建立されました。
(三千院 金色不動堂・ポイント)
●金色不動堂は智証大師(ちしょうだいし)・円珍(えんちん)作とも言われている本尊・不動明王立像(秘仏)を安置しています。不動明王立像は重要文化財です。
観音堂
石庭二十五菩薩慈眼の庭の横にたつ
身の丈3mの金色の観音菩薩像が祀られている
両側には、縁を結ばれた方の小観音菩薩像が安置されている
1998年(皇紀2658)平成10年の建立
【観音堂】
観音堂は1998年(平成10年)に両側の小観音堂とともに建立されました。観音堂の横には補陀洛浄土を模して、二十五菩薩を配した石庭・二十五菩薩慈眼の庭が作庭されています。
(三千院 観音堂・ポイント)
●観音堂は高さ約3メートルの金色の観音像、小観音堂は三千院と縁を結んだ方々の小観音像が安置されています。
聚碧園(しゅうへきえん)
客殿の南側にある池泉回遊式庭園
律川からの清流が流れ込んでいる
冬でも凍らないという、華厳音愛(けごんおんあい)の手水鉢がある
自然の美しさに感動した茶人 金森宗和(かなもりそうわ)が修復したといわれている
杉木立ちの間に見透かすようにあり、サツキの刈込も美しい
【聚碧園】★★
庭園・聚碧園(しゅうへきえん)は客殿の庭園で、池泉観賞式庭園です。聚碧園は東部が山畔を利用した上下二段式、南部が円形とひょうたん形の池泉をむすんだ池庭です。聚碧園の隅には老木・涙の桜が植えられています。聚碧園は江戸時代の茶人・金森宗和(かねもりそうわ)が自らの手を加えたとも言われています。
(三千院 聚碧園知識)
●聚碧園には緑(碧)の集(聚)まる地という意味があるそうです。
<瑠璃光庭(るりこうてい)>
宸殿の南側の往生極楽院に通じる杉苔で覆われた庭
江戸時代初期の作庭
有清園(ゆうせいえん)
宸殿の東側の雄大な池泉回遊式庭園
庭一面に苔が密生し、スギ・ヒノキ・ヒバなどの立木が並ぶ
山畔を利用した三段式の「細波の滝(さざなみのたき)」から水が流れ込んでいる
所々には、お地蔵さんが苔のなかに安置されている
春には石楠花の淡い色が園内一面を染めるなど、一年中、四季折々の花が楽しめる
往生極楽院が立つ
江戸時代初期
茶人 金森宗和の作庭といわれる
【有清園】★★
庭園・有清園(ゆうせいえん)は宸殿から往生極楽院を眺める池泉回遊式庭園です。有清園は青苔に杉や桧(ひのき)などの木立が並び、山畔を利用して上部に三段式になった滝を配し、渓谷式に水を流して池泉に注ぎます。なお有清園には彫刻家・杉村孝(すぎむらたかし)作のわらべ地蔵も置かれています。
(三千院 有清園知識)
●有清園の名称は西晋の詩人・謝霊運(しゃれいうん)が詠んだ招隠詩(しょういんし)の一節「山水清音有(山水に清音有り)」に由来しています。
紫陽花苑
往生極楽院を過ぎて、金色不動に向かう参道脇に数千株の紫陽花(あじさい)が植えられている
【紫陽花苑】
紫陽花苑は往生極楽院から金色不動堂に向かう参道脇にあります。紫陽花苑には小アジサイ・星アジサイ・山アジサイ・額アジサイ・蔓アジサイなど数千株の紫陽花が植えられています。紫陽花は例年6月中旬頃から見ごろを迎え、あじさい祭が行われています。
(三千院 紫陽花苑・ポイント)
●紫陽花苑には鎌倉時代中期に造仏された大原の石仏も安置されています。
あじさい祭・三千院見どころ
<石庭二十五菩薩慈眼の庭>
補陀落浄土を模して二十五菩薩が安置されている
横には観音堂がある
阿弥陀如来石仏
あじさい苑内の、律川のほとりに安置されている
高さ2.25m、幅1.8mの花崗岩の石仏
高さ30cmの単弁の蓮華座に定印結跏趺坐(けっかふざ)している
背後の無地の二重光背は、自然石のままとなっている
木彫の手法で彫られている
鎌倉時代中期の作
京都市で最大最古の石仏といわれ、「大原の石仏」とも称される
【阿弥陀石仏】★
阿弥陀石仏は鎌倉時代に欣求浄土(ごんぐじょうど)を願った念仏行者が造仏したとも言われています。阿弥陀石仏は高さ約2.25メートルで、単弁の蓮華座上に結跏跌座(けっかふざ)した座像です。
※欣求浄土(ごんぐじょうど)とは、
死後、西方にある極楽浄土で生まれ変われるように心から願い求めること。
(三千院 阿弥陀石仏・ポイント)
●阿弥陀石仏はかつて炭を焼き始めた老翁が住んでいた売炭翁(ばいたんおきな)旧跡にあることから売炭翁石仏とも言われています。
<涙の桜>
往生極楽院脇の苔庭の老樹
室町時代の歌僧 頓阿が、この桜を見て「見るたびに袖こそ濡るれ桜花」と詠んだことが由来
<妙音福寿大弁才天>
弁才天は、仏教の守護神である天部の1つ
七福神の一人
仏教においては、妙音菩薩(みょうおんぼさつ)と同一視されることもある
有清園内の弁天池に注がれる金色水は、「福寿延命」の水とされる
<草木供養塔>
金色不動堂前の杉木立の中に立てられている
1993年(皇紀2653)平成5年3月15日
第61世 小堀光詮門主の建立
長崎産六方石(玄武岩)全長6m(地下1.5m)
<宝経塔>
<売炭翁旧跡>
売炭翁とは、炭の生産販売に従事する人たちのこと
このあたり一帯は、小野山の中腹にあり、昔は炭を焼く炭竈があった
「炭竈のたなびく煙ひとすじに 心細さは大原の里 (寂然法師)」
【寺宝】
<阿弥陀三尊坐像(国宝)>
往生極楽院の本尊
阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の三尊が西方極楽浄土から亡者を迎えに来る(来迎)形式の像
中央は、来迎印を結んだ阿弥陀如来
両脇侍の観音菩薩・勢至菩薩は、蓮台に大和坐り(やまとずわり)(正座)をしている珍しい像
平安時代末期の源信作といわれる
<観音菩薩坐像(国宝)>
往生極楽院の阿弥陀三尊坐像の右脇侍
蓮台に大和坐り(やまとずわり)(正座)をしている珍しい像
膝を少し開き、やや前屈みで両手で蓮台を捧げている
<勢至菩薩(せいしぼさつ)国宝)>
往生極楽院の阿弥陀三尊坐像の左脇侍
蓮台に大和坐り(やまとずわり)(正座)をしている珍しい像
膝を少し開き、やや前屈みで合掌している
檜(ヒノキ)の寄木造
胎内から平安時代末期の1148年(皇紀1808)久安4年の墨書が発見された
<金色不動明王立像>
金色不動堂の本尊
「出世金色不動明王」と称され、開運出世・合格祈願・良縁・社運隆盛・事業の成功などが祈願される
厳しい表情の顔、両肩から全身にみなぎる力感で強く締まった体
平安時代の智証大師円珍の作といわれる
秘仏とされ厨子の中に安置されてきていた
<毘沙門天立像>
宸殿
岩上に腹這う邪気を両足で踏んで立っている
全身を甲冑で被い、頭に宝冠をいただき、右手に三叉戟、左手に宝塔を支えている
<阿弥陀三尊立像>
宸殿
小像の阿弥陀三尊立像です
中央の阿弥陀如来は、通肩の納衣で、右手は施無畏印、左手は与願印を結んでいる
<如意輪観音菩薩坐像>
宸殿
六観音の一つ
如意宝珠で衆生の迷いを破る菩薩ともいわれている
<救世観音半跏像>
宸殿の内仏殿
開基 伝教大師 最澄からの60世以上の歴代門主の霊牌と共に祀られている
1246年(皇紀1906)寛元4年の作
飛鳥・白鳳時代の様式を忠実に再現された木造仏
<阿弥陀二十五来迎図>
中心の阿弥陀如来が、皆金色(かいこんじき)に載金模様(きりがねもよう)の衣をまとい来迎印を結んでいる
二十五菩薩も、同じく皆金色の載金模様の衣をまとっている
彩色の地蔵、龍樹の僧形の二菩薩などが来迎する様子が描かれている
<阿弥陀聖衆来迎図>
先頭に蓮台を捧げ持つ観音菩薩と、合掌する勢至菩薩、来迎印の阿弥陀如来の後に、合掌して座す五人の菩薩と
二人の僧形、その後ろに十人の音声菩薩が従う
周囲には、雲に乗った仮仏や虚空に舞う蓮弁が描かれている
<紙本墨書 声明口伝(重要文化財)>
1238年(皇紀1898)嘉禎4年2月9日
宗快法印が大原の草庵で記述した声明図譜
<紙本墨書 音律(重要文化財)>
声明の音階を譜図を用いて体系的に著したもの
1295年(皇紀1955)永仁3年5月6日
魚山末学の円珠房喜淵が小山殿本願院で書写したもの
【祭事】
<修正会(しゅしょうえ)>
1月元日
宸殿(しんでん)
これまで犯した三業(身・口・意)の罪や過ちを懺悔し、正しい行いをするという翻邪修正(ほんじゃしゅうせい)が行われ、
国家安穏・天下泰平が祈願される
出仕の僧侶により、「法華三昧(ほっけざんまい)という声明が唱えられる
<左義長(さぎちょう)>
1月15日
金色不動堂前広場
「お焚き上げ」「どんど焼き」とも称される
本来は 宮中における小正月の火祭行事
正月の松や注連飾り、全国から寄せられた古い祈祷札やお守りなどが焚き上げられる
御札発遣法(おふだはっけんほう)により、罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)と今年の無病息災が祈願される
仏さまにお供えした鏡餅を開き、厄除けの「おぜんざい」として接待される
<金色不動尊(こんじきふどうそん)初縁日護摩供(はつえんにちごまく)>
1月28日
金色不動堂
不動明王の大慈悲は、広大無辺にしてその加持力は普く衆生に及び、人々の煩悩を護摩の浄火で焼き尽くし、
人々の諸願を成就するといわれる
加持祈祷法要により、護摩壇の爐中に火を燃やし供物・乳木(にゅうぼく)五穀を焼いて聖尊に供養する修法で、
智慧の火で煩悩、一切の悪業の薪を焼き尽くす
毎月28日はお不動さまの縁日
正月28日の初縁日は、「千日参りの日」と称され、千日参拝したのと同じ功徳を授かり、一年間の開運が約束されるといわれる
<節分会(せつぶんえ)>
2月3日
法要 宸殿(しんでん)・豆まき 金色不動堂
早朝より僧侶が般若心経を一年の日数分を唱え(日数般若心経讀誦(にっすうはんにゃしんぎょうどくじゅ)息災が祈願される
<初午大根焚き(はつうま だいこんだき)>
2月初午の日
金色不動堂前広場
不動護摩供により、無病息災・開運招福が祈願される
出世金色不動明王のご加護とご利益をいただけるよう祈祷された大根焚きが行われる
<涅槃会>
2月15日
宸殿(しんでん)
お釈迦様の入滅の様子が描かれた「涅槃図」を掲げて、その遺徳を偲ぶ常行三昧(じょうぎょうざんまい)の法要が行われる
五色豆の授与も行われる
<星供(ほしく)・星祭(ほしまつり)>
2月28日
金色不動堂
ご自身との深い星を供養し、祈願する
星供法要は、密教法要で、午前11時に金色不動堂の全ての戸を閉め、明かりを遮断し、暗闇の中に蝋燭を灯して
大宇宙の星空を密壇の上に顕現させる法要
「北斗法」「本命星供私記」「宿曜経」などの星に関する密教のお経が、鎌倉時代より伝承されている
<春季彼岸会(しゅんきひがんえ)>
3月20日(春分の日)
宸殿(しんでん)
法華懺法(ほっけせんぼう)と例時作法(れいじさほう)が交互で行われ、禅定を組んで沈む夕陽を見つめ、
西方の彼方におられる阿弥陀如来と極楽浄土の様子を想い浮かべる
<写経会(しゃきょうえ)>
3月28日
円融房(えんゆうぼう)
供養のために経文を写す如法写経(にょうほうしゃきょう)の法要が行われる
<花まつり・降誕会(ごうたんえ)>
4月8日
宸殿(しんでん)
釈尊の誕生を讃嘆して営まれ、仏生会(ぶっしょうえ)潅仏会(かんぶつえ)と称される
花御堂をしつらえて中に誕生仏を安置し、雨と降った甘露を象徴するものとして「甘茶」を像にかける
平安時代には五種類の香水(五色水)が注がれていたが、江戸時代に甘茶に替わったといわれる
甘露は、飲むと不老不死になるという霊薬で、諸天の常用する飲み物といわれる
<草木供養法要>
4月12日
金色不動堂
諸天の神々を招き集めるための声明が唱えられる
<不動大祭>
4月28日
金色不動堂の本尊、金色不動明王立像の特別御開扉が行われる
不動大祭開白・百味供養護摩供法要(ひゃくみくようごまくほうよう)
僧侶が読経する中、参拝者らによって、金色不動明王に息災を感謝して果物や茶葉など多彩な食材が供えられる
護摩炊きも行われ、無病息災や家内安全が祈願される
<御懺法講(おせんぼうこう)>
5月30日
宸殿(しんでん)
懺法は、自ら知らず知らずのうちにつくった諸悪の行いを懺悔して、心の中の「むさぼり・怒り・愚痴」の三毒を取り除き、
心をさらに静め清らかにするという、天台宗にとって最も大切な法要儀式
門主が導師を勤め、山門(延暦寺)と魚山(大原寺)の僧侶が式衆として出仕し、歴代天皇の御回向である御懴法講が
厳かに行われる
1157年(皇紀1817)保元2年
後白河天皇が御所の仁寿殿において、宮中御懺法講として行われた天皇家の回向法要が由来といわれる
「声明法」と称される雅楽と声明による平安時代の古儀にのっとり、約2時間の宮中の伝統法要が再現される
<あじさい祭>
6月中旬~1ヶ月間
金色不動堂
降魔折伏の大般若経転読会、炎と煙による息災祈願の採灯大護摩供法要(さいとうごまくほうよう)が行われる
本山修験宗 総本山 聖護院門跡から大導師を迎えて、法剣・法弓・斧の作法など、
修験道の古儀に則った法要が行われる
僧侶が経本を転読することによっておこす風と、僧侶が喝破する「降伏一切大魔 最勝成就」の声で、
世界平和・家内安全・当病平癒・除災招福などのご利益が与えられる
奥の院あじさい苑
ホシアジサイやヤマアジサイなど3000株以上の紫陽花(あじさい)がある名所
<盂蘭盆会施餓鬼法要>
7月15日
宸殿
かつて僧侶に百味の飲食(おんじき)を捧げて供養したのが由来
現在では、先祖の霊に飲食を供え、餓鬼(がき)に供物をほどこす施餓鬼会が行われる
三千院門主が、大導師となり天台密教の秘法である光明供(こうみょうく)を行い、
僧侶が天台声明の大曲である「九条錫杖(くじょうしゃくじょう)」を唱え、錫杖師(しゃくじょうし)が各条ごとに錫杖を振り鳴らし、
三界万霊すべての霊を成仏に導き、世界平和と人類の幸福が祈願される
三千院では「九条錫杖」の九条全曲が唱えられる稀な法要とされる
<万灯会法要>
8月14・15日
奥の院・不動堂・観音堂前広場を中心に境内全域
一万本の灯明を灯して、先祖の精霊を回向される
<放生会(うじょうえ)>
8月28日
金色不動堂(大般若転読会)・往生極楽院東側の放生池(放生会)
中国 天台山で修行をしていた天台大師 智顗禅師(ちぎぜんじ)が、天台山の麓にいる漁民が必要以上に魚を捕り、
無用となった魚を棄てる殺生が行われており、その地域では遭難が多く発生していたといわれる
智顗禅師は、放生池を作り、慈悲の心を教えて魚を池に放つことを行わせたところ平和な日々を送れるようになったと
いわれるのが由来
<秋季彼岸会曼荼羅供・越中おわら踊り>
9月秋分の日
宸殿・金色不動堂前広場
三千院門主が密教の修法をしつつ、僧侶が声明を唱えて諸尊諸仏を供養する
曼荼羅供法要で唱えられる声明は「天台声明の華」と称されるように華やかな趣きがあるといわれる
三年を一周期として「胎蔵界」「金剛界」「金胎両界」の曼荼羅供法要が行われる
<観音大祭百味供法要(かんのんたいさいひゃくみくほうよう)>
10月18日
観音堂
百味の穀物・野菜・果物・乾物などを観音菩薩の御宝前にお供えして、一年間の感謝と、これからの一年間の幸福を祈願する
<もみじ祭>
10月28日~11月28日
金色不動堂 境内一円
通常は非公開の仏像や古文書などが展示され、秘仏金色不動尊開扉護摩供が行われる
<托鉢寒行(たくはつかんぎょう)>
12月23日
大原地区一帯
托鉢は、仏道修行に励むための十二の実践項目「十二頭陀行(ずだぎょう)>のひとつ
僧侶が鉢を携えて町や村を歩き、食を乞う
【声明】
声明は、寺院で行われる法要儀式で、経文に音曲をつけて歌詠される仏教儀式音楽
日本音楽の源流といわれる
インドのバラモン僧が、一般教養として修得すべき五つの実践的な学問「五明」の一つ
慈覚大師 円仁が、中国 五台山や唐の都で行われていた仏教儀式音楽(五会念仏)を延暦寺に伝えた
慈覚大師 円仁は、多くの声明曲を五曲(長音供養文・独行懺法・梵網戒品・引声念仏・長音九条錫杖)に分けて
弟子に伝えられた
1097年(皇紀1757)承徳元年
聖応大師 良忍上人によって、大原で体系的に整理され、集大成された
【その他】
<呂川(りょせん)と律川(りつせん)>
三千院を挟んで北側に「律川(りつせん)」、南側に「呂川(りょせん)」と称される小さな川が流れている
声明の里である大原にちなみ声明の呂(呂旋法)と律(律旋法)から名付けられている
呂曲(呂旋法)を律旋法で唱誦するときに、うまく呂と律の使い分けが出来ないことを「呂律(ろれつ)が回らない」と言われる
律川を渡ったところに、石仏があり、上流に実光院・宝泉院・勝林院があり、さらに上流には音無の滝がある
呂川に沿って朱雀門があり、上流に来迎院・蓮成院・淨蓮華院・聖応大師良忍廟がある
<JR東海「そうだ 京都、行こう。」>
2008年(皇紀2668)平成20年の秋のキャンペーンで、
「紅葉の中で仏さまに出会ってしまいました。急いでケータイを切ります。あしからず。」 と紹介される
【桜・紅葉】
三千院は桜の名所・紅葉の名所です。山内には山桜・枝垂桜など約300本が植えられ、桜は例年4月中旬頃に見ごろを迎えます。また楓(カエデ)なども植えられ、紅葉は例年11月中旬頃に見ごろを迎えます。なおに選ばれています。
(三千院 桜・ポイント)
●大原は京都府内で嵐山・保津峡(亀岡市)とともに「日本の紅葉の名所100選」に選ばれています。
桜・三千院見どころ・紅葉・三千院見どころ・もみじ祭・三千院見どころ
【円融蔵】★
経蔵・円融蔵(えんゆうぞう)では融通念仏縁起絵巻・菊池芳文が描いた茅ヶ崎海岸図などの文化財を収蔵・展示しています。円融蔵は2006年(平成18年)に天台宗開宗1200年、三千院開創1200年を記念して建設されました。
【梶井門】
梶井門(かじいもん)は応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))によって焼失し、大原に移った際に大徳寺に残された門です。梶井門は旧大宮通に面しています。梶井門はかつて開いていたが、現在は閉じられ、開けずの門とも言われています。
梶井門(大徳寺)
【不動大祭】
毎年4月中旬頃から5月中旬頃まで不動大祭(ふどうたいさい)が行われます。不動大祭では金色不動堂に安置されている秘仏・不動明王立像(金色不動尊)が開扉されます。初日には不動堂前広場で採灯大護摩供法要が行われ、中日には百味の飯食を供える百味供養護摩供が行われます。
不動大祭・三千院見どころ
【初午大根焚き】
毎年2月の初午に初午大根焚き(はつうまだいこんだき)が行われます。初午大根焚きでは大根焚きを振舞い、無病息災・開運招福を祈願します。なお初午大根焚きでは大原の里人が真心を込めて有機栽培した大根を使い、出世金色不動明王の加護とご利益が授かるように特別祈祷が行われています。
(三千院 初午大根焚き・ポイント)
●初午大根焚きでは金色不動堂に安置されている出世金色不動明王(秘仏)もご開帳されます。
初午大根焚き・三千院見どころ
【御懺法講】
毎年5月30日に御懺法講(おせんぼうこう)が行われます。御懺法講では声明懺法(しょうみょうせんぼう)と雅楽が合わせた古儀に則り、宮中法会を平安絵巻きさながらに再現します。御懺法講は1157年(保元2年)に第77代・後白河天皇が内裏・仁寿殿(じじゅうでん)で行った宮中御懺法講が起源と言われています。
御懺法講・三千院見どころ
【万灯会】
毎年8月12日に万灯会(まんとうえ)が行われます。万灯会では世界平和・諸願成就を願い、千年の祈りが点灯されます。境内のたくさんのロウソクに火が灯されます。なお万灯会は往生極楽院が極楽浄土への祈りを捧げる為に建立されたことに由来しています。
(三千院 万灯会・ポイント)
●万灯会は2004年(平成16年)に天台宗の開宗1200年を記念して始まりました。
万灯会・三千院見どころ
【勝手神社】
勝手神社(かってじんじゃ)はかつて魚山(ぎょざん)と言われた大原の守護神として崇敬されたとも言われています。勝手神社は1125年(天治2年)に融通念仏の祖である聖応大師(しょうおうだいし)・良忍(りょうにん)が大和多武峰から声明道の守護神として勧請した言われています。
(三千院 勝手神社・ポイント)
●三千院の山号は魚山です。魚山は中国の古代声明の中心地とも言われています。
勝手神社
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