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上賀茂神社(かみがもじんじゃ)
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)は、京都の北部の賀茂川の上流の東側にある神社
上賀茂神社を「上社(かみしゃ)」、下鴨神社を「下社(しもしゃ)」と称され、両社をあわせて「賀茂社」と称される
上賀茂神社は、競馬発祥の地といわれ、祭神の賀茂別雷大神は、競馬の守護神といわれる
下鴨神社には、上賀茂神社の祭神の賀茂別雷大神の母親(玉依媛命)と祖父(賀茂建角身命)が祀られている

上賀茂神社:目次
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基本情報

正式名称:賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)
所在地:京都市北区上賀茂本山
祭神:賀茂別雷大神
社格:明神二十二社上七社、官幣大社、山城国の一の宮、別表神社、勅祭社、山城国一之宮
神紋:双葉葵
世界遺産(古都京都の文化財)の一つ

Map 情報

【ご神徳】

 <厄除>
 雷(いかづち)の神威により、厄を祓いあらゆる災難を除く厄除明神・落雷除・電気産業の守護神として広く信仰されている
 <方除>
 平安京に遷都されて以来、皇城鎮護の神・鬼門の守護神・総地主の神として信仰されている

【経緯】

 「山城国風土記」の逸文によると、
 賀茂建角身命が日向国の曾の峰(そのたけ)に降臨し、神武天皇の東征を導いた後、
奈良の葛木を経て、山城国久我から鴨川をさかのぼって、現在の上賀茂神社がある愛宕郡の賀茂に移住してきたといわれる
 妻 伊可古夜日売(いかこやひめ)との間には、玉依日子(たまよりひこ)と玉依日売(たまよりひめ)が授けられた

 玉依日売は、瀬見の小川で遊んでいたところに丹塗りの矢が流れてきたを拾い、床の間に飾っていたところ、懐妊したといわれる
 生まれた男の子が成人した日、賀茂建角身命が、盛大な宴会を開き、「父親と思う者に盃を飲ませよ」と言ったところ、盃を天に向けて、天上に昇っていったといわれる
 賀茂建角身命は、その子を「賀茂別雷大神」と名付けた
 丹塗りの矢は、火雷神(ほのいかずちのかみ)だったといわれる

  • 678年(皇紀1338)白鳳7年
     賀茂県主家(かもあがたぬしけ)の氏神神社が創建されたのが由来といわれる
  • 平安京遷都の時
     桓武天皇が行幸されて、王城鎮護の神とされ、その後も歴代の天皇の行幸が行われた
  • 810年(皇紀1470)弘仁元年
     嵯峨天皇が、皇女の有智子内親王を斎王として賀茂斎院の制を設け、その後、約400年間、斎院がたてられた

 武家からの篤い信仰を集め
 特に、徳川家康は、家紋の三ツ葉葵が、賀茂社の神紋に由来することから、篤く信仰したといわれる

  • 1863年(皇紀2523)文久3年
     孝明天皇が、攘夷祈願のために上洛中の徳川家茂を従えて、下鴨神社・上賀茂神社両社へ、237年ぶりの行幸が行われた

【境内】

 上賀茂神社の境内は、国の史跡に指定されている

 本殿・権殿は国宝で、他の34棟の社殿が重要文化財

本殿(ほんでん)(国宝)

 1863年(皇紀2523)文久3年の造替
 平安時代の建築様式
 本殿と権殿ともに三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、桧皮葺の代表的な建物

権殿(ごんでん)(国宝)

 1863年(皇紀2523)文久3年の造替
 本殿と権殿ともに三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の代表的な建物
 本殿が非常の場合に神儀を遷す御殿で、調度品まで本殿に準じている

本殿の前には、左に銀色の狛犬、右に金色の獅子が立っており、
その影として、本殿の扉にはそれらの絵が描かれている。
片方は狛犬、片方は獅子。
通常は、狛犬と狛犬、獅子と獅子の神社ですが、
もともとは、エジプトの王座を守っているライオンが由来で、
それが中国にわったって獅子となり、韓国では狛犬に、
そして日本では、中国と韓国両方から文化が入ってきたため、
獅子と狛犬の両方がいるのだとか。

ならの小川

 玉橋の下には「御物忌川(おものいかわ)」が流れ、御手洗川(みたらしかわ)と合流して「ならの小川」になる
 葵祭のときには斎王代・女人列御禊神事が行われる

 <一ノ鳥居>

 < 北神饌所(庁屋)(重要文化財)>
 奈良神社拝殿が付属している
 ならの小川の東側に建つ
 かつて、神饌調進所、また、政庁として使われていたといわれる
 賀茂競馬会神事のときには、能舞台としても使われる
 1628年(皇紀2288)寛永5年の造替

 <外幣殿(御所屋))(重要文化財)>
 法皇や上皇などが行幸や、摂関賀茂詣のときの著到殿
 賀茂競馬会神事や、葵祭のときにも用いられる
 1628年(皇紀2288)寛永5年の造替

<二ノ鳥居>

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二ノ鳥居は、一ノ鳥居と向きが違う
二ノ鳥居は、旧御所に向いており、御所からみて鬼門にあたり「御所と都」を守る

 <楽屋(重要文化財)>
 二ノ鳥居を入った左に建つ
 供僧が用いたもので、「一切経楽屋」とも称される
 1628年(皇紀2288)寛永5年の造替

<細殿(ほそどの)(拝殿)(重要文化財)>

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二ノ鳥居を入った正面に建つ
 細殿前に、御神体山の神山をかたちどった2つの円錐形の立砂(盛砂)が盛られている
 1628年(皇紀2288)寛永5年の造替

立砂(たてずな)は細殿(拝殿)前にあり、神代の昔に賀茂別雷命が降臨した神体(秀峰)・神山を模した円錐状の2つの砂の山です
立砂には向かって左に3本(陽)と右に2本(陰)の松葉が差されています
※以前は、神山の松葉を使用
立砂は鬼門に撒く清めの砂の起源と言われ、神を迎える場所
盛り塩の原形:塩は清める(家を守る)

 <土屋(重要文化財)>
 細殿の横に建つ
 神主以下社司の著到殿として使われていたといわれ、現在は、祓所となっている
 1628年(皇紀2288)寛永5年の造替

 <舞殿(橋殿)>
 御手洗川をまたぐように建っている
 かつて勅使御拝の殿舎として使われていたといわれる
 1863年(皇紀2523)文久3年の造替

 <樟橋(くすのきばし)>
 樟(くすのき)の化石の橋
 この橋を渡ると長寿になるといわれ、「長寿橋」とも称される
 「長寿箸」が授与されている

 <玉橋>
 楼門の前、御手洗川と合流する御物忌川(みものいみがわ)にかかる反橋
 反りのある朱塗りの高欄付き
 橋端の男柱と袖柱には金色の擬宝珠が付けられている
 橋の外側には、黒地に白で剣巴文が描かれている
 一般には渡れなく、祭礼時に幣物を供える神官が渡る

 <片岡橋(重要文化財)>
 御物忌川にかかる玉橋の上流の廊橋
 大きな唐破風をもつ檜皮葺の屋根付き
 1868年(皇紀2528)明治元年の建立

 <楼門(重要文化財)>
 1628年(皇紀2288)寛永5年の建立

 <高倉殿(重要文化財)>
 楼門を入って左に建つ
 1628年(皇紀2288)寛永5年の建立

 <幣殿(重要文化財)>
 楼門を入って右に建つ
 1628年(皇紀2288)寛永5年の建立

 <中門・直会所・御籍屋(重要文化財)>
 楼門を入って正面に立つ
 直会所(なおらいじょ)(西局)は、祭典終了後に、神職・参列者がお神酒をいただくところ
 御籍屋(みふだのや)(東局)は、現在は、神前結婚式が行われる

 <忌子殿(重要文化財)>
 幣殿の奥に建つ
 1628年(皇紀2288)寛永5年の建立

 <唐門>
 1628年(皇紀2288)寛永5年の建立

 <岩上(がんじょう)>
 舞殿の手前にある
 葵祭のときには、宮司がこの岩の上に蹲踞(そんきょ)して、勅使と対面して、御祭文(ごさいもん)に対して、
神の意志を伝える「返祝詞(かえしのりと)」が奏上される神聖な場所
 原始の神道の形として貴重なもの

 <藤原家隆の歌碑>
 小倉百人一首
 「風そよぐ 奈良の小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける」
 平安時代
 ならの小川で、神職が禊(みそぎ)をしていた情景を詠んだもの

 <斎王桜>
 奉仕されていた斎院が愛した桜

 <御所桜>
 孝明天皇により下賜った枝垂桜
 社家 蒋池清山が奉納したもの

 <葵の森>
 境内の東北にある

 <いちいがし>
 ブナ科のイチイガシ
 地上部1.5mのところから二幹に分かれ、一部根系が露出している

 <椋(むく)>
 境内の東南隅にあるニレ科のムクノキの老巨樹
 ほぼ円形の台地上にあって、周囲は高さ70cmの石積みで保全がされている
 京都市に残存するムクノキとしては最大級の個体

 <秀峰 神山(こうやま)>
 本殿の後方約2kmのところにある
 山頂には、降臨石(こうりんせき)が拝され、山麓には、御阿礼所(みあれしょ)が設けられ、厳粛な祭祀が行われる

【摂社】

第一摂社 片山御子神社(かたやまみこじんじゃ)

 式内社
 祭神:玉依媛命 1柱1座
 賀茂縣主族の祭祀権を持っていた最高の女性で、常に祭神 賀茂別雷大神の側近で仕えておられた神
 現在では、賀茂別雷大神の祭祀のときには、まず最初に、片山御子神社を祀り、玉依媛命の御名によりお仕えすることが奏上される

  • 1591年(皇紀2251)天正19年6月11日
     皇室の信仰も篤く、正一位に叙せられる
     天正年間(1573年~1592年)
     後ろにあった、3つの「よるべの水」の泉が地下に埋没したといわれる

     縁結びの神さんともされる
     紫式部が縁結びを祈願して何度も参拝したといわれる
     「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし」(新古今和歌集第三巻 夏歌)
     将来の結婚相手の声をほととぎすにたとえて、待つ間、朝露に濡れながらも片岡の木の下で待っていましょうという意がある

<片岡神社>

 祭神:玉依媛命 1柱1座
 縁結び・子宝・家内安泰のご利益がある
 本殿(重要文化財)・拝殿(重要文化財)
 1628年(皇紀2288)寛永5年の建立
縁結び・子授け・家内安泰の神

 <新宮神社>
 本殿(重要文化財 )・拝殿(重要文化財)
 祭神:たかおかみの神(水を司る神)
 1628年(皇紀2288)寛永5年の建立

 <若宮神社>
 祭神:若宮神
 本殿(重要文化財)
 1628年(皇紀2288)寛永5年の建立

 <奈良神社>
 祭神:奈良刀自神

 <賀茂山口神社>
 式内社
 祭神:御歳神 1柱1座
 「沢田神社」とも称される
 本宮の御田、神領地の田畑を守護する神

 <久我神社>
 式内社
 祭神:賀茂建角身命

 <須波神社(重要文化財)>
 式内社
 祭神:阿須波神(あすはかみ)、波比祇神、生井神、福井神、綱長井神 4柱1座
 本宮の前庭を守護されている神

 <大田神社>
 祭神:天鈿女命

【末社】

 <山尾社>
 祭神:大山津美神(おおやまつみのかみ)(山を司る神)

 <橋本社>
 祭神:衣通姫神(そとおりひめのかみ) 1柱1座
 和歌・芸能の神として信仰されている

 <川尾社>
 祭神:罔象女神(みづはのめのかみ) 1柱1座
 後ろに流れる御物忌川を守る神

 <棚尾社>
 祭神:櫛石窓神、豊石窓神
 中門の横に立つ

 <岩本社>
 祭神:底筒男神、中筒男神、表筒男神

 <土師尾社>
 祭神:建玉依比古命

 <杉尾社>
 祭神:杉尾神

 <山森社>
 祭神:素盞嗚神、稲田姫命、田心姫命

 <梶田社>
 祭神:瀬織津姫神

 <白鬚社>
 祭神:猿田彦大神

 <百大夫社>
 祭神:船玉神

 <鎮守社>
 祭神:大国主命、少彦名神

 <福徳社>
 祭神:福徳神

 <藤木社>
 祭神:瀬織津姫神

 <小森社>
 祭神:水分神

境外末社 半木神社

 祭神:天太玉命(あめのふとだまのみこと)(養蚕製糸の守護神)
 京都府立植物園の半木の森にある

【渉渓園(しょうけいえん)】

 奈良の小川の上流、御手洗川の東岸、賀茂山口神社の前庭
 約500坪の庭
 かつて、神宮寺の小池があったところといわれる

 渉渓園の中央部に南北に曲溝が造られ、御手洗川の支流 沢田川から分水して緩流が流れる

 1960年(皇紀2620)昭和35年
 皇孫 浩宮徳仁親王の生誕の奉祝行事として、曲水の宴が復活され、それにふさわしい庭園として造営された
 京都府文化財保護課技師 中根金作による設計

【文化財】

 <賀茂祢宜神主系図(重要文化財)>

【勅祭 賀茂祭】

 賀茂祭は、三大勅祭、京都三大祭の一つ
 上賀茂神社と下鴨神社で行われる例祭
 5月1日~15日に、さまざまな神事が行われる

 <競馬会足汰式> 5月1日
 <賀茂競馬会神事> 5月5日
 <御阿礼神事> 5月12日
 <葵祭> 5月15日

【祭事】

 <歳旦祭(さいたんさい)>
 元旦

 <新年竟宴祭(しんねんきょうえんさい)>
 1月5日
 新年の祭事の最後に行われる饗宴の儀
 平安雅楽会により舞楽が奉納される

 <初卯神事(はつうしんじ)>
 初卯日
 平安時代より、卯杖(うづえ)を奉り邪気を祓う神事

 <白馬奏覧神事>
 1月7日
神前に七草粥が供えられ祝詞(のりと)が奏上された後に、錦の馬着で正装した白い神馬(しんめ)が1頭を引き立てられて祭神の御覧を仰ぐ神事
 <御馬飼の儀>
 神馬(しんめ)に、折敷(おしき)に盛られた大豆が、巫女により与えられて1年の無事安泰が祈願される

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 <大田神社御内儀祈願祭(おおたじんじゃごないぎきがんさい)>
 1月10日
 摂社 大田神社にて
 1・5・9の月に国家・皇室の繁栄、天皇・皇后両陛下の御身体の御安泰を祈念される

 <御棚会神事(みたなえしんじ)>
 1月14日
 神領でだった賀茂六郷より、それぞれ御棚にて私幣と魚類の神饌が奉納された
 現在では、神社にて調整し一台のみ献ぜられる

 <御粥神事(みかゆしんじ)>
 1月15日(小正月)
 小正月に小豆を食べると邪気が祓われるという故事にのっとる
 春の木である樒(しきみ)で作られた粥杖と小豆粥とを供え春の気をもたらす神事

 <武射神事(むしゃしんじ)>
 1月16日
 「鬼」と裏に書かれた的を射て年中の邪気を祓う
 小笠原流近畿菱友会による大的式や百手式の奉納がある

 <節分祭・古神札焼上祭>
 2月節分

 <紀元祭(きげんさい)>
 2月11日
 神武天皇が橿原の地で即位され建国されたことを祝して、国家安泰と国民繁栄が祈念される
 蹴鞠や剣道、空手が奉納される

幸在祭

 2月24日
 江戸時代初期から上賀茂地域の農家に伝わる祭り
 各家の長男が数え年で15歳になると「さんやれ講」と称される子どもの組織を卒業して大人の仲間入りする元服を祝う行事
 23日の夜、「あがり」と称される数えの15歳を迎える男子が、「宿(やど)」に集って夜を明かし、
翌24日、「ダイショウギ」と称される緑の葉のついた枝を持ち、鐘や太鼓、笛の囃しで「おーめーでとーごーざーるー」という
独特の節回しのはやしを演奏しながら、氏神の摂社 大田神社を参拝し、上賀茂神社でお祓いを受ける

 <燃灯祭(乙子神事)>
 2番目の子の日
 昔から行われていた子の日の遊びを神事化したもの
 神職一同狩衣姿で、御阿礼野(みあれの)に出て、小松を引いて、それに玉箒草(燃灯草)を添えて神前に献る神事

 <桃花神事(とうかじんじ)>
 3月3日
 上賀茂神社の五節句神事の一つ
 神前に、草餅や桃花・辛夷(こぶし)の花、ヨモギ、神饌が供えられ、疫病の災いを祓い、国家安寧が祈願される

 <春季皇霊祭遥拝式(しゅんきこうれいさいようはいしき)>
 春分の日
 宮中 皇霊殿で行われる祭典に併せて遥拝される

 <久我神社春祭(くがじんじゃはるまつり)>
 4月1日
 摂社 久我神社で賀茂氏の始祖、賀茂建角身命が祀られる
 牽馬の儀が行われる

 <土解祭(とげさい)>
 4月3日
 春の太陽により土地が作付けに適してくる時期を「土解」と称し、この時期に土の災いを祓い豊作が祈願される
 特殊な卜占にてその年に蒔く稲種が決められ、お祓がされる

 <大田神社春祭>
 4月10日
 摂社 大田神社の春祭
 巫女神楽(チャンポン神楽)(京都市登録無形民俗文化財)の奉納や、生け花などが展示される

 <賀茂曲水宴>
 4月第2日曜日
 1182年(皇紀1842)寿永元年
 神主重保(しげやす)により行われたことが由来
 斎王代陪覧に従い、当代一流歌人によって和歌が詠まれ、冷泉家時雨亭文庫の方々により披講される

 <半木社春祭(なからぎしゃはるまつり)>
 4月20日
 京都府立植物園 半木の森に鎮座する末社 半木社の春祭
 養蚕製糸の守護神である天太玉命(あめのふとだまのみこと)が祀られ、多くの繊維関係者により参拝される

 <摂末社春祭(せつまっしゃはるまつり)>
 4月21日
 これまでに春祭が行われていない5摂社15末社に神饌を供え祝詞が奏上される

 <神御衣献進祭(かんみそけんしんさい)>
 5月12日
 御神服を冬服から夏服に更衣するために献進する神事

 <上賀茂やすらい祭(かみがもやすらいまつり)>
 5月15日
 やすらい堂(上賀茂岡本町)→大田神社→上賀茂神社→藤ノ木社などを巡行してやすらい堂に戻る
 「インやすらい花や…」と歌い、赤熊をつけた鬼が踊る
 京都市無形民俗文化財

 <御田植祭(おたうえさい)>
 6月10日
 本殿で祭典が行われ、摂社 沢田神社で神事が行われ、神事橋にて川中に早苗が投じられる

 <水無月大祓式(みなづきのおおはらえしき)>
 6月30日
 朝10時、神職が茅の輪をくぐったあと、参拝者が左回り、右回り、左回りと三度通り抜け、橋殿(はしどの)で
半年間の罪穢れを祓い清められる
 人形に氏名・年齢を記し、息を吹きかけて穢れ(けがれ)を移し、神社に納められる

夏越神事(なごししんじ)・夏越祓式

 6月30日 午後8時過ぎ
 氏子信者から持ち寄られた人形(ひとがた)を篝火の炎が揺らぐ ならの小川に投じて半年間の罪穢を祓い清められる
 「中臣祓詞(なかとみのはらえのことば)」が唱えられるなか、神職によって、橋殿から人形が次々に流される
 従二位 藤原家隆により、百人一首「風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける」と詠まれる

御戸代会神事(みとしろえじんじ)

 7月1日
 田植が終わり、害虫の発生を防ぎ、五穀豊穣を祈願される

 <賀茂御戸代能(かもみとしろのう)>
 7月1日
 孝謙天皇により、神領地として御戸代田が寄進され、田楽・猿楽の奉納により農夫の労がねぎらわれことが由来
 能楽の先駆けとされる
 現在では、観世流能・大蔵流狂言が奉納される
 御戸代能保存会により、「神歌」が謡われる

 <烏相撲内取式>
 9月8日
 翌日の相撲に備えて、烏鳴きをする刀禰(とね)と児童が行う儀式
 白い装束を着た二人の刀禰が、「カーカーカー」「コーコー」と烏の鳴き声で受け答えをする
 相撲の取り組みの番立てを組み、習礼(練習)が行われる

重陽祭(神事>

 9月9日
 「重陽」とは、9月9日に、9という陽の数字が重なることをいい、宮中などで行われた五節句の一つで、秘中の儀式が由来
 この日に菊酒を飲んだり、菊についた露で肌を拭き災厄が祓われる
 本殿に菊を供え、無病息災、延命長寿、悪霊退散が祈願される

烏相撲

 9月9日
 京都市登録無形民俗文化財
 御祭神の外祖父賀茂建角身命が神武天皇東征のときに八咫烏(やたがらす)となって先導された故事による
 二の鳥居内の細殿前庭において、児童により禰宜方(ねぎかた)、祝方(ほうりかた)に分れ烏相撲が行われる
 相撲の前には、弓矢を手にし白い装束を着た2人の刀弥(とね)が、横飛びしながら出てきて、
「カオーカオー、コーコーコー」と烏の鳴き声を真似る
 上賀茂神社の周辺の賀茂の住人を「烏族」と称されていたことが名前の由来

 <秋季皇霊祭遥拝式>
 秋分の日
 宮中 皇霊殿で行われる祭典に併せて遥拝される

 <賀茂観月祭>
 中秋の日
 月明かりのもとで神事が行われ、舞楽などの奉納行事が行われる

 <安曇川献進祭(あどがわけんしんさい)>
 10月1日
 上賀茂神社の御厨(みくりや)であった滋賀県安曇川町より古式にのっとり鮎などが献進される

 <神嘗祭当日祭(かんなめさいとうじつさい)>
 10月17日
 伊勢の神宮で行われる神嘗祭の斎行を御本殿に奉告される

笠懸神事

 10月第3日曜日
 騎射三物(犬追物、笠懸、流鏑馬)の一つ
 武田流による奉納される
 2005年(皇紀2665)平成17年に800ぶりに復興される

 <久我神社秋祭(くがじんじゃあきまつり)>
 11月1日
 摂社 久我神社で行われる秋祭

 <久我神社神幸祭(くがじんじゃしんこうさい)>
 11月3日
 久我神社の氏子地域を3基の神輿が巡幸する

 <大田神社秋祭(おおたじんじゃあきまつり)>
 11月10日
 摂社 大田神社の秋祭で、菊花展などが開催される
 夕刻からは火焚祭が行われる

 <神御衣献進祭>
 11月12日
 御神服を夏服から冬服に更衣するために献進する神事

 <相嘗祭(あいなめさい)>
 11月13日
 新嘗祭に先立ち、71座の神々に新穀を奉じる神事

 <半木社秋祭(なからぎしゃあきまつり)>
 11月20日

 <摂末社秋祭(せつまっしゃあきまつり)>
 11月21日

 <新嘗祭(にいなめさい)>
 11月23日
 新穀、秋の実りを感謝する神事で、氏子中より野菜の奉献などが行われる

 <御禊・大祓式(ぎょけい・おおはらえしき)>
 12月31日午後4時
 半年間の罪穢れを祓い清める神事
 橋殿で、全国から送られてくる人形(ひとがた)が祓われ、下を流れる ならの小川に流されて、罪穢れを祓い清められる

 <除夜祭(じょやさい)>
 12月31日大祓式に引き続き行われる

【上賀茂神社の七不思議】

 <大田の沢の杜若>
 <賀茂の演能>
 <賀茂の勝手火>
 <楠木の化石橋>
 <車返しの桜>
 <御扉の狛犬>
 <物言わぬ神主>

【その他】

やきもち

 上賀茂神社の名物菓子

<葵使>

 双葉葵(フタバアオイ)を、上賀茂神社から江戸城に献上していた行事
 江戸時代の間、行われていた
 2007年(皇紀2667)平成19年4月15日
 徳川家康の駿府城入城400年にあわせ、140年ぶりに葵使が復活する

 <加茂(かも)・班女(はんじょ)>
 賀茂が舞台となっている能の演目の一つ

 <斎院>
 810年(皇紀1470)弘仁元年
 嵯峨天皇は御杖代(みつえしろ)として、皇女 有智子内親王(うちこないしんのう)を斎王として賀茂斎院の制を設け、
その後、約400年間、斎院がたてられた

 <卯枝(うづえ)>
 桃・梅・柳などの木の枝を重ねた、厄除けの飾り
 平安時代に宮中では、正月初卯の日に邪気を祓うために飾られていた
 正月から節分まで授与されている

 <梅辻家住宅>
 上賀茂神社の社家のうち、現存する賀茂七家の唯一の社家遺構

【アクセス】

 市バス・京都バス 上賀茂神社前 すぐ
 地下鉄 北山駅 または 北大路駅 車で約5分