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伏見稲荷大社
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、全国約4万社の稲荷神を祀る稲荷神社の総本宮
お稲荷さんは、農業の神であり、五穀豊穰・商売繁盛・交通安全などのご利益がある
平安京の五条より南が氏子圏となり、祇園社と二分していた
東山三十六峰最南端の稲荷山西北にあり、稲荷山には信者から寄進された約1万基の朱の鳥居が林立し「千本鳥居」と称される
摂社・末社も多く、山中の神蹟を巡拝する約4kmの「お山巡り」ができる

伏見稲荷大社:目次
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写真集

基本情報

所在地:京都市伏見区深草藪之内町 伏見稲荷大社HP 
祭神:宇迦之御魂神
配祀:佐田彦大神(さたひこのおおかみ)・大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)・ 田中大神(たなかのおおかみ)・四大神(しのおおかみ)
社格:明神二十二社上七社・官幣大社・式内社  配祀の四大神(御諸大神):式内社・官幣小社
創建:秦伊呂具(はたのいろぐ)
通称:お稲荷さん(おいなりさん)
ご利益:五穀豊穰・商売繁盛・交通安全

補足情報

秦伊呂具(はたのいろぐ)が、餅を的にして矢を射ったところ、その餅が白鳥になって山の峰に飛んで行き、そこに稲が生えたので、その穀霊を祀り「伊禰奈利(いねなり)」と称され社名になったといわれる
お稲荷さんは、農業の神であり、五穀豊穰・商売繁盛・交通安全などのご利益がある
平安京の五条より南が氏子圏となり、祗園社と二分していた
東山三十六峰最南端の稲荷山西北にあり、稲荷山には信者から寄進された約1万基の朱の鳥居が林立し「千本鳥居」と称される
摂社・末社も多く、山中の神蹟を巡拝する約4kmの「お山巡り」ができる

Map 情報

見どころポイント

①稲荷大神のお使いである“キツネ”
楼門前には狛犬ならぬ“狛キツネ”が鎮座し、向かって右は「玉」穀物の倉庫、左は「鍵」倉庫の鍵をくわえています。「巻物」智恵の象徴「稲穂」五穀豊穣(農業の神様)
②おもかる石
奥社奉拝所(おくしゃほうはいじょ)にある“おもかる石”。願いごとを思いながら、石灯籠の上にのる宝珠石を持ち上げ、予想より軽ければ願いが叶うそう。
③千本鳥居
美しい朱色は、生命・大地・生産の力を稲荷大神の御霊の働きとして表現した色
たくさんの鳥居があるのは、「願いが通る(通った)」という、崇敬者から稲荷大神様へのお礼として奉納されているから。現在では境内に約1万基もの鳥居が立ち並びます。20年ほどで全て建て替えられているため、どこを見てもきれいな鳥居が続きます。

境内

<稲荷山>

東山三十六峰の最南端に位置する霊峰で、御神体山として信仰されている
海抜233m
「三ケ峰」とも称され、三つの峰が西から東へと段々に高く連なる
山麓の本社に近い峰から、「三ノ峰」「二ノ峰」「一ノ峰」と称し、三ノ峰と二ノ峰の中程に「間の峰」、三ノ峰の北方に「荒神ヶ峰」が連なっている
参道には朱の鳥居が立ち、無数のお塚が造られている

<本殿(重要文化財)>

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 神社建築物としては大型とされる
 社記には「御本殿五社相殿ウチコシナガシ作四方ニ高欄有ケタ行五間五尺ハリ行五間五尺」と記されている
 「稲荷造」とも称され、本殿の棟から前拝への屋根が極めて長い五間社流造
 内拝殿の正面の向拝は、元禄年間(1688年~1704年)に本殿に付け足されたものが、
昭和時代に内拝殿が建造されたときに付設された
 軒下には「懸魚」の金覆輪や、「垂木鼻」の飾金具、前拝に付けられた蟇股など桃山時代の豪華な彫刻が施されている
 1468年(皇紀2128)応仁2年3月
 応仁の乱の兵火により、境内の社殿堂塔の全てが焼亡する
 1499年(皇紀2159)明応8年11月23日  再建され遷宮される

<楼門(ろうもん)(重要文化財)>

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 左右には「随臣(ずいじん)」と称される右大臣、左大臣の像が納められている
 左右には北廻廊・南廻廊がつながっている
 1589年(皇紀2249)天正17年
 豊臣秀吉の寄進により建立される
 豊臣秀吉が「母親 大政所殿の病悩平癒祈願が成就すれば一万石奉加する」と記した「命乞いの願文」が存在する
 楼門の解体修理のときに、願文の年次と同じ「天正17年」の墨書が発見された

 楼門の両脇には、守護する狛狐の像がある
 右側は鍵(米を収める蔵を象徴し人と人とを繋ぐ)をくわえ、左側は玉鍵信仰の玉(宝珠)をくわえている
お稲荷さんはその名が示すように【稲】との関わりが深く、「玉」は祭神ウカノミタマの魂、すなわち稲の霊です。そして「鍵」は稲を貯蔵する蔵の鍵を表しています。
 日本の神社はもとより巨木の繁る森に囲まれた場所にあり、それと共に必ず神の使いと称する動物がいます。それが眷属(けんぞく)です。
 稲荷大明神の眷属である白狐は、山から降りてきて野ネズミや雀から稲を守ります。キツネ像は稲作の豊穣を祈っているのです。

楼門は以前の門が応仁の乱(1467〜1478年)によって焼失され、その約100年後に豊臣秀吉によって新たに寄進されたものです。

この楼門が建てられる前に、秀吉の母である大政所がかなり危険な状態でした
母の病気平癒を願った秀吉は、稲荷大社に願文(がんもん)を送ります。
{ 願文とは、神仏に願いを立てる時その趣旨を記した文のことです。}
その後、奇跡的に母の体調は徐々に回復し、稲荷の神に感謝の意を表してこの楼門を寄進したのです。その時秀吉が送った願文は、現在もこの稲荷大社に保存されています。

 <外拝殿(げはいでん)(舞殿)(重要文化財)>
 楼門を入ってすぐ目の前にある
 軒下の吊灯籠は、牡羊座・牡牛座・双子座・蟹座・獅子座・乙女座・天秤座・蠍座・射手座・山羊座・水瓶座・魚座の
「黄道十二宮」を表したもの

 1589年(皇紀2249)天正17年の建造
 当初は四間四方だった
 1840年(皇紀2500)天保11年
 稲荷祭のときに5基の神輿を並べるために間口五間奥行三間に改築された

 <神楽殿(かぐらでん)>
 本殿の南側、外拝殿の横にある
 11月の火焚祭のときに奉納狂言が行われる
 1882年(皇紀2542)明治15年に能楽殿として建立される

 <内拝殿(ないはいでん)>
 本殿前にある
 1694年(皇紀2354)元禄7年の造営時に本殿に唐破風朱塗向拝が付け加えられる
 1961年(皇紀2621)昭和36年に本殿から切り離され現在の形になる

 <権殿(ごんでん)(若宮)(重要文化財)>
 内拝殿の左奥、本殿の隣にある
 本殿を一回り小さくした五間社流造の仮殿
 社殿を修理するときなどに仮の本殿とされる
 この建物の左にある朱塗りの鳥居をくぐり石段を上ると、奥に千本鳥居の入口へ通じている
 1499年(皇紀2159)明応8年の「明応遷宮記録」の中に記録がある
 1589年(皇紀2249)天正17年の建立
 1635年(皇紀2295)寛永12年に現在の建物が再建される
 1959年(皇紀2619)昭和34年に東北側に移築される

<一の鳥居>

JR稲荷駅に面して表参道に立つ朱色の大鳥居
明神鳥居様式に構造的な補強のため、柱の上部と島木の接合部に台輪があり、台輪鳥居(だいわとりい)と称される
 稲荷神社に多い鳥居で、稲荷鳥居(いなりとりい)とも称される
 1972年(皇紀2632)昭和47年の奉建と記されている

<石標と狐像>

JR稲荷駅の前、一の鳥居のすぐ右手にある
石標の裏には1948年(皇紀2608)昭和23年12月建立の刻印がある
狐の像は金色の稲穂をくわえて尻尾と後ろ脚を宙に浮かせた躍動感のあるポーズをしている。すぐそばにはソメイヨシノの木がある

 <石標>
 熊野社・藤尾社・霊魂社の社のある参道北側の脇にある石標
 「官幣大社 稲荷神社」と刻まれている

 <眷属像(けんぞくぞう)>
 境内には、稲荷大神の神使である狐(きつね)の眷属像が数多く建立されている

 <儀式殿(ぎしきでん)>
 一の鳥居から表参道を入って左側にある
 上空から見ると八角の星形の形をしている近代的な建物
 御朱印受付所や、七五三の撮影に使われるスタジオなどもある

 <参集殿(さんしゅうでん)>
 参拝者の宿泊施設、一人から最大100名が宿泊可能
 1階にはホールや食堂も営業している

 <警衛所(けいえいしょ)>
 二の鳥居をくぐり楼門の手前左、手水舎の向かいにある

 <車祓所>
 二の鳥居と楼門の手前右側にある
 交通安全のお祓いが行われる

 <二の鳥居>
 表参道の楼門のすぐ手前にある朱色の鳥居

<境内鳥居>

権殿と社務所の間にあり、本殿の方から千本鳥居や玉山稲荷社などへ向かう石段の手前にある
両脇を左側が巻物、右側が玉をくわえた狛狐が守護している

 <手水舎>
 楼門の左手前にある

 <御茶屋(おちゃや)(重要文化財)>
 楼門をくぐって右に進んだ奥にある旧宮司邸宅
 二部屋からなり、書院造から数寄屋造へ移る遺構の建物で貴重

 七畳の主室は、床・付書院・違棚を設けた書院造で、柱や漆塗りの框などは数寄屋造の意匠となっている
 貴族好みのお茶屋の代表例
 江戸時代初期に仙洞御所にあった建物
 1606年(皇紀2266)慶長11年
 後水尾上皇の非蔵人として仕えていた伏見稲荷大社祠官 羽倉延次が、後水尾上皇から下賜されたものといわれる

 <神饌所(しんせんしょ)>
 本殿裏の奥、神楽殿の左側にある
 「神饌」とは神様の食事のことで、その支度をするための場所

 <神輿庫>
 本殿裏の奥、神楽殿の左側にある
 5/3の例祭・稲荷祭で使用される5基の神輿(みこし)が収められている

 <お山遥拝所>
 本殿の裏にある
 稲荷山山頂の方向を参拝するために設けられたところ
 稲荷山の遥拝所は奥の院にもある

 <歌碑>
 「あかあかと ただあかあかと 照りゐれば 伏見稲荷の神と思ひぬ」前川佐美雄(楼門前)
 「早苗挿す 舞の仕草の 左手右手」山口誓子(神楽殿横)

 <御鎮座千二百五十年奉祝大祭記念の碑>
 楼門の右手前にある
 1961年(皇紀2621)昭和36年3月15日から21日までの7日間
 御鎮座1250年にあたり奉賛会が組織され、数々の記念事業が企画され大祭が行われたことを記念したもの

 <なんじゃもんじゃの木>
 楼門をくぐって外拝殿を右奥に進んだ先、御茶屋の手前にある
 ヒトツバタゴ(一つ葉田子)の木
 日本では対馬や愛知県・岐阜県の木曽川流域にしか見られない希少種
 毎年5~6月頃に、白色で円錐状の集散花序を小枝につける
 「なんじゃもんじゃ」とは見慣れない珍しい植物に対して地元の人が名付けた愛称のこと

 <供物所(くもつしょ)>
 正面中央の格子戸の下部に開口部があり、供物を外部から差し入れられる特異な形式
 1859年(皇紀2519)安政6年、稲荷山に座す神々への供物をする場所として建立される

 <神馬舎(じんめしゃ)>
 玉山稲荷社の右隣にある神馬舎
 中には白い神馬像が納められている

 <神馬舎(じんめしゃ)>
 玉山稲荷社から千本鳥居へ向かう石段の途中にあるもう一つの神馬舎
 中の白い神馬像は1938年(皇紀2598)昭和13年の奉納
 仔馬は1982年(皇紀2642)昭和57年の奉納

 <社務所(しゃむしょ)>
 本殿北側にあり、鳥居の奉納を受け付けている
 2012年(皇紀2672)平成24年
 御鎮座1300年奉祝記念事業の一環として池泉回遊式庭園の「社務所庭園」が作庭された

 <伏見稲荷大社講務本庁(こうむほんちょう)>
 伏見稲荷大社講務本庁は、全国各地の稲荷信仰者により組織された団体

<東丸神社>

 伏見稲荷大社の大鳥居内の境内に、外拝殿の南に隣接してある
 伏見稲荷大社の社家出身で、江戸時代中期の国学の四大人の一人である歌人 荷田春満が、学問の神さんとして祀られている

 <荷田春満旧宅(国の史跡)>
 東丸神社の右隣にある
 荷田春満の生家とされる平屋建・書院造の建物

 <御幸道(裏参道)>
 表参道の北側の、石畳の参道
 左右にはたくさんの商店や食べ物屋が軒を連ねる伏見稲荷参道商店街がある

 <石鳥居>
 裏参道(御幸道)の途中にある

 <裏参道鳥居>
 裏参道(御幸道)の終点、楼門の北側に出る
 左に続く石段を上がっていくと本殿の北側に出る
 すぐ目の前には、手水舎と警衛所がある

 <産婆道>
 玉山稲荷社から左側の横の参道を北にのぼっていき、産場稲荷社へ向かう参道

 <納札所>
 玉山稲荷社の横の参道をのぼっていき、産婆道の石階段の手前を右側に曲がっていったところにある
 古いお札を納めるところ

 <神苑斎場(しんえんさいじょう)>
 納札所の前を通って十石橋や神田の方へ向かう途中を右手にある石段を上がった先にある
 または、千本鳥居入口の鳥居を数基くぐってすぐ左手に出入口がある
 火焚祭などの神事が行われるときにだけ入れる

 <十石橋(じっこくはし)>
 納札所の方から神田へ向かう途中の大八嶋池にかかる朱塗りの橋

 <稲荷山復元記念之碑>
 十石橋のたもとにある石碑
 1961年(皇紀2621)昭和36年の御鎮座1250年大祭のときに、明治維新により上地させられていた稲荷山の境内が、
復元されたのを記念して建てられた

 <詠句詩台>
 十石橋から神田に向かう途中にある

 <永代初穂米献備の碑>
 十石橋から神田に向かう途中にある

 <八嶋ヶ池(やしまがいけ)>
 納札所の北側、産婆道の東側にある池

 <神田(しんでん)>
 八嶋ヶ池の東側にある
 広さ約100坪
 約150kg、2俵半のお米が収穫できる

 1517年(皇紀2177)永正14年の「小槻干恒宿禰記」にお田植の記録があるが、その後廃絶
 1930年(皇紀2590)昭和5年に、昭和天皇御即位御大礼記念事業の一つとして向日市に神田が設置される
 1948年(皇紀2608)昭和23年に現在の稲荷山の麓に移設された

 4/12の「水口播種祭」・6/10の「田植祭」・10/25の「抜穂祭」で神事が行われる

末社

 <熊野社(くまのしゃ)(重要文化財附指定)>
 表参道の入って左側、三社が並ぶうちの一番左にある
 祭神:伊邪那美神
 例祭:7月14日
 1694年(皇紀2354)元禄7年の建造
 1959年(皇紀2619)昭和34年に、現在の地に移された

 <藤尾社(ふじおしゃ)(重要文化財附指定)>
 表参道の入って左側、三社が並ぶうちの真ん中にある
 祭神は、日本書紀を編纂した舎人親王(とねりしんのう)
 1589年(皇紀2249)天正17年の社図に描かれている
 1680年(皇紀2340)延宝8年に、天皇塚の崩れた跡に小社を新築して藤尾社が創建された
 例祭:5月5日

 <霊魂社(れいこんしゃ)>
 表参道の入って左側、三社が並ぶうちの一番右にある
 祭神:物故職員特別崇敬者の霊、伏見稲荷に係り深い物故者の霊が合祀されている
 1867年(皇紀2527)慶応3年の建立
 例祭:秋分の日

 <長者社(ちょうじゃしゃ)(重要文化財附指定)>
 権殿左脇の石段を登って奥宮や千本鳥居へ向かう途中、左側にある複数の末社の一番手前
 祭神:秦氏祖神、加茂玉依姫
 例祭:8月8日
 旧社家で、創建に関係の深い秦氏の祖神を祀る
 1499年(皇紀2159)明応8年の「明応遷宮記録」に境内社として記録されている
 天正の社頭図にも本殿北方に描かれている
 現在の建物は1694年(皇紀2354)元禄7年以前からある建物を現在の地に移したもの

 <荷田社(かだしゃ)(重要文化財附指定)>
 権殿左脇の石段を登って奥宮や千本鳥居へ向かう途中、左側にある複数の末社の下から2番目
 祭神:荷田氏の祖神
 例祭:12月13日
 旧社家で、創建に関係の深い荷田氏の祖神を祀る
 1176年(皇紀1836)安元2年
 荷田氏の祖 荷太夫の没後、稲荷山の命婦社の南に社が創建され霊魂が祀られる
 1499年(皇紀2159)明応8年の「明応遷宮記録」にも記録がある
 1694年(皇紀2354)元禄7年に現在の地に再興される

 <五社相殿(ごしゃあいどの)(重要文化財附指定)>
 権殿左脇の石段を登って奥宮や千本鳥居へ向かう途中、左側にある複数の末社の下から3番目
 八幡宮:応神天皇
 日吉社:大山咋神
 若王子社:若王子大神(にゃくおうじおおかみ)
 猛尾社:須佐之男命
 蛭子社:事代主神
 1694年(皇紀2354)元禄7年
 境内に祀られていた5社を現在の地で再建される

 <両宮社(りょうぐうしゃ)(重要文化財附指定)>
 権殿左脇の石段を登って奥宮や千本鳥居へ向かう途中、左側にある複数の末社の下から4番目
 祭神:天照皇大神・豊受皇大神(とようけのおおかみ)
 例祭:10月17日
 1589年(皇紀2249)天正17年の社頭図に再興の記録がある
 1694年(皇紀2354)元禄7年に現在の地に再興された

 <玉山稲荷社(たまやまいなりしゃ)>
 末社があるエリアの石段を上がって正面にある  祭神:玉山稲荷大神(たまやまいなりおおかみ)
 例祭:8月15日
 1708年(皇紀2368)宝永5年に東山天皇が宮中の鎮守として稲荷社を勧請
 1716年(皇紀2376)享保元年
 東山天皇が崩御後に、天皇に仕えた松尾の月読神社の社家 松室重興が預かり、左京区高野の私邸内に遷座
 1874年(皇紀2534)明治7年に諸般の都合で伏見稲荷の若宮殿に遷座され
 1875年(皇紀2535)明治8年に末社とされ建立された

 <奥宮(おくみや)(重要文化財)>
 本殿の奥、末社を抜けた先の鳥居をくぐり石段を上がってすぐ、千本鳥居の手前にある
 本殿と同様の流造で建てられ、他の社とは別格の社
 「上御殿」とか、3室の内陣をもつことから「三社殿」とも称される
 祭神:稲荷大神
 例祭:1月4日

 1459年(皇紀2119)長禄3年の「長禄三年指図」、1499年(皇紀2159)明応8年の「明応遷宮記録」に存在した記録がある
 天正年間(1573年~1592年)に現在の建物が建立される
 1694年(皇紀2354)元禄7年に修復される

 <白狐社(びゃっこしゃ)(旧命婦社)(重要文化財)>
 奥宮の左側にある
 稲荷大神の眷属である狐(命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)を祀る唯一の社
 「奥之命婦」「命婦社」と称された
 祭神:命婦專女神(みょうぶとうめのかみ)
 例祭:1月4日
 寛永年間(1624年~1644年)に現在の玉山稲荷社の付近に建立される
 1694年(皇紀2354)元禄7年までは現在の地に遷される

 <金網の狐像>
 本殿の方から千本鳥居へ向かう石段を上がった両脇、奥宮と白狐社の前にある狐の像

 <摂社 大八嶋社(おおやしましゃ)>
 八嶋ヶ池の西側にある
 祭神:大八嶋大神(おおやしまおおかみ)
 例祭:12月初申の日
 「大八嶋」とは、伊邪那岐命と伊邪那美命の2神が最初に産み出した日本列島のこと
 元々は、山上の荒神峯(田中社神蹟)にあり四大神が祀られていた社を遷された
 古くから社殿がなく、朱の玉垣で囲んで禁足地とされている

奥社奉拝所

 <奥社奉拝所>
 お山を遥拝するところで「奥の院」と称される
 本殿の東方から千本鳥居をぬけたところの「命婦谷」にある
 稲荷山三ケ峰が、この社殿の背後にある
 1499年(皇紀2159)明応8年の「明応遷宮記録」に記録がある
 1794年(皇紀2454)寛政6年
 現在の社殿が建立される
 1975年(皇紀2635)昭和50年
 社殿を後方の現在の位置に移され、前に拝所が建立される

<千本鳥居>

 約1万基の「稲荷塗」といわれる朱色の鳥居がある
 鳥居を奉納する習わしが、江戸時代に始まったといわれる
 最初に大きな鳥居が続き、しばらく進むと左右に分岐点し小さめの鳥居が並ぶ
 どちらを進んでも奥の院(奥社奉拝所)に到着する

<2匹の狐像>

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 千本鳥居の分岐点へ向かう最初の鳥居のすぐ右手にある狐の像
 2匹の狐が手をつなぎ中央で輪を作っている

<おもかる石>

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 奥社奉拝所の右側後にある一対の石灯籠
 石灯籠の前で願い事の成就可否を祈願して、石灯籠の空輪(頭)を持ち上げ、
そのときに感じる重さが、自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶うといわれる試し石

 <絵馬掛>
 奥社奉拝所の横に設置されている
 絵馬はキツネの顔状になっており、自分で顔を描いて奉納する

 <後醍醐天皇の歌碑>

 <大薮茶亭(おおやぶちゃてい)>
 神饌物の販売とお休み処を営むお店

 <お滝場めぐりスタート地点>  大薮茶亭の脇の階段を降りると左右には道が続き、
 右は、千本鳥居に沿って本殿の方へと戻ることができる
 左は、稲荷山南に点在する修行滝を巡る「お滝場めぐり」のスタート地点となっている

稲荷山

 <お塚>
 明治時代、稲荷山に七神蹟地が確定され、その親塚が造営される
 その周辺に、信者個人によって、石に神名を刻んだ「お塚」が奉納されるようになる
 数万のお塚があるといわれる

 <一ノ峰(上之社神蹟)>
 稲荷山の最高峰で、標高233mあるところ
 大宮能売大神、末廣大神として、親塚が作られる以前から信仰されている
 火焚祭:11月10日

 <二ノ峰(中之社神蹟)>
 猿田彦大神、青木大神として信仰されている
 火焚祭:11月11日

 <間ノ峰(荷田社神蹟)>
 伊勢大神として信仰されている
 神域入口の石鳥居は、「奴祢鳥居(ぬねとりい)」と称され、額束の両側に合掌状の破風扠首束(さすつか)をはめた珍しいもの
 火焚祭:11月25日

 <三ノ峰(下之社神蹟)>
 白菊大神として信仰されている
 ここから出土した変形神獣鏡が、京都国立博物館に保管されている
 火焚祭:11月9日

 <御膳谷奉拝所>
 稲荷山三ヶ峰の北背後にあたり、「御前谷」ともいわれ、
かつては、ここに神饗殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)があり、三ヶ峰に鎮まる神々に神供をした所といわれる
 三つの峰の渓谷がここに集まっており、一の峰・二の峰・三の峰を拝する重要なところとされる
 大山祭(山上の儀):1月5日
 この日の午前中に、稲荷山七神蹟の玉垣に注連縄を張る「注連張神事」が行なわれる
 御饌石と称される1m四方ほどの神石の上に、中汲酒を盛った古式の齋土器七十枚がお供えされる
 初午祭:2月初午の日(新暦)
 御塚大祭:2月初午の日(旧暦)
 火焚祭:11月28日

 <清滝>
 御膳谷奉拝所から北へ向かって約200m程下ったところにある清滝
 西の方へ川に添って下れば、北谷を経て東福寺・泉涌寺へ出る
 火焚祭:11月12日

 <荒神峰(田中社神蹟)>
 権太夫大神の神蹟
 稲荷山十二境図詩に「孤巒返景色」とあり、京都市内中心部から以北の景観が望める
 火焚祭:11月13日

 <御幸奉拝所>
 1963年(皇紀2623)昭和38年に開かれた神域
 平安時代より「御幸辺(みゆきべ)」と称される尾根で、お山参詣の重要な経路だった
 火焚祭:11月26日

 <筆塚>
 伏見稲荷大社を崇敬していた横山大観画伯の筆塚
 御幸奉拝所にあり、周りには黒竹が植えられている

 <新池(熊鷹社)>
 「谺ケ池(こだまがいけ)」とも称される
 池に突き出た石積みに拝所が設けられ、熊鷹大神の御塚とされる
 行方不明になった人を探す時、池に向かって手を打ち、こだまが返ってきた方向に手がかりがつかめるといわれる
 火焚祭:11月17日

稲荷山御神蹟参拝(お山めぐり)

 奥社奉拝所の北側に、標高233mの稲荷山へのお山めぐりの入口がある
 そこから朱色の鳥居が連続する参道が続いている
 全行程約4km、所要時間約2時間と案内されている

 <奇妙大明神(根上り松・膝松さん)>
 奥社奉拝所からの参道を少し進んだところにある
 根が左右に浮き出ていて、股のようになっている松の木を祀る
 根上りが「値上がり」に転じて投資家などから崇敬を受けている
 「膝松さん」とも称されていて、根を下からくぐると膝腰や神経痛の平癒にご利益があるといわれる

 <伏見神宝神社(ふしみかんだからじんじゃ)(神宝さん)>
 根上り松の向かい、鳥居が途切れるところを右折して約2分のところにある
 興津鏡・辺津鏡・八握剣・生玉・死反玉・足玉・道反玉・蛇比礼・蜂比礼・品物比礼の10種の神宝が奉安されている
 社殿脇には、天龍と地龍の狛龍がある
 平安時代の創建
 かつては稲荷山上に祀られていたが、後に荒廃
 1957年(皇紀2617)昭和32年に再建された

 <神道御徳社本部>
 奥社奉拝所から熊鷹社への参道の途中を右折して数分のところにある

 奥社奉拝所から熊鷹社への参道の途中に分岐があり
 右の方へまっすぐ進むと熊鷹社の方へ進むお山めぐりの定番コース
 左に曲がると、神苑(神田)、あるいは、十石橋を経由して本殿の方へ戻ることができる

 <末社(福繁大神・大岩大神・白玉大神)>
 熊鷹社・新池(谺ケ池)へ向かう最後の石段がはじまる手前、右横にある

 <熊鷹社(くまたかしゃ)>
 新池(谺ケ池)の畔に隣接するようにある
 池に突き出た石積みに拝所が設けられ、熊鷹大神の御塚とされる
 祭神:熊鷹大神(勝負事・商売繁盛の神様)
 火焚祭:11月17日

 <新池>
 熊鷹社の畔にある池
 「谺ケ池(こだまがいけ)」とも称される
 熊鷹社での参拝の後、行方不明になった人を探すとき、
 池に向かって手を2回打ち、こだまが返ってきた方向で、家出人や失踪者の手がかりがつかめるといわれる
 こだまが近くから返ってきたと感じれば願い事は早く叶い、遠く感じれば遅くなるとわれる

 <竹屋(たけや)>
 新池の畔、熊鷹社門前の茶店
 1757年(皇紀2417)宝暦7年の創業
 お供え用の和ろうそくなどや和菓子が販売されている

 <展望所>
 熊鷹社から三ツ辻へ向かう石段の手前にあり、市街が展望できる

 <三ツ辻(みつつじ)>
 熊鷹社・新池から登って行ったところの三叉路になっている大きな分岐点
 右へ、そのまままっすぐ進むと四ツ辻(一ノ峰・二ノ峰・三ノ峰)へ登る
 左へ曲がると八島ヶ池への裏参道となり、ふもとに向かい、多くの末社がある

 <三玉亭(みたまてい)>
 三ツ辻のすぐそばにある茶店

 <京屋(きょうや)>
 三ツ辻から四ツ辻へ向かう途中にある急な坂道の途中にある茶店

 <末社 榎木大神・青木大明神>
 茶店 京屋の向かいにある

 <瓢亭(ひょうてい)>
 茶店 京屋から四ツ辻へ向かう途中、大松社の向かいにある茶店

 <大松社>
 茶店 瓢亭の向かいにある
 大松大神を祀る

 <三徳亭(さんとくてい)>
 茶店 瓢亭から四ツ辻へ向かう途中、三徳社の向かいにある茶店

 <三徳社(さんとくしゃ)>
 茶店 三徳亭の向かいにある
 衣食住の3つの徳を持つという三徳大神を祀る
 3つの願い事が成就するとして信仰を集めている
 特に、魚関係の業者の参拝が多いといわれる

<四ツ辻(よつつじ)>

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 お山めぐりの大きな分岐点
 稲荷山の中腹にあり展望台もあり、眼下に京都市内を見渡すことのできるスポット
 右の南へ向かうと、三ノ峯から一ノ峯へ登り、眼力社・大杉社を通って四ツ辻へ戻る
 まっすぐ東へ向かうと、大杉社・眼力社を通って一ノ峯へ登り、三ノ峯を通って四ツ辻へ戻る
 左へ曲がり北へ進むと、三ヶ峰北側の御幸奉拝所の方へ向かう

<仁志むら亭(にしむらてい)>

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 四ツ辻にある休憩所
 1864年(皇紀2524)元治元年の創業
 1969年(皇紀2629)昭和44年には、京都府知事より「老舗100年表彰」を受賞している
 俳優 西村和彦の実家

 <展望所>
 四ツ辻にある展望スペース
 京都市街が一望できる絶景スポット

 <三ノ峯(さんのみね)(下之社神蹟)>
 四ツ辻から右側の南に、一ノ峯方面へ登って行った途中にある
 稲荷山七神蹟の一つの下之社神蹟
 伏見稲荷の主祭神 稲荷三神の上社 宇迦之御魂神を祀っていた跡といわれる
 明治時代の改修工事のとき、変形神獣鏡が出土し、現在は京都国立博物館に保管されている

 <白菊社(下之社神蹟)>
 三ノ峯の下之社神蹟にある
 祭神:白菊大神(しらぎくおおかみ)
 火焚祭:11月9日

 <岡本店(おかもとてん)>
 三ノ峯・白菊社(下之社神蹟)にあるお店
 入口の暖簾には、日本舞踊坂東流坂東会の名前が記されている

 <間ノ峯(あいのみね)(荷田社神蹟)>
 三ノ峯から二ノ峯へ登って行った途中にある
 稲荷山七神蹟の一つの荷田社神蹟
 天照大御神の別名 伊勢大神が祀られてる

 伏見稲荷大社の創建に関わりの深い荷田氏の祖神 龍頭太が祀られ、
御神蹟の石の扉には荷田家の梅の紋が刻まれている
 石鳥居は「奴祢鳥居(ぬねとりい)」と称され、額束の両側に合掌状の破風扠首束をはめた独特の形をしている

 <いせや>
 間ノ峯(荷田社神蹟)にある茶店

 <二ノ峯(にのみね)(中之社神蹟)>
 三ノ峯・間ノ峯から一ノ峯へ登って行った途中にある
 稲荷山七神蹟の一つの中之社神蹟
 導きの神 稲荷三神の中社 佐田彦大神(さたひこのおおかみ)(猿田彦大神)を祀っていた跡といわれる

 <青木社(中之社神蹟)>
 二ノ峰の中之社神蹟にある
 交通安全・海運の神・導きの神とされる青木大神が祀られている
 火焚祭:11月11日

 <辻亭(つじてい)>
 二ノ峯・青木社(中之社神蹟)にある茶屋

 <一ノ峯(いちのみね)(上之社神蹟)>
 稲荷山の山頂で標高233mにある
 稲荷山七神蹟の一つの上之社神蹟
 稲荷三神の上社 大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)を祀っていた跡といわれる
 神蹟を囲むようにして数多くのお塚が作られている

 <末広社(上之社神蹟)>
 稲荷山の山頂の一ノ峯の上之社神蹟にある
 大宮能売大神、末廣大神として、親塚が作られる以前から信仰されている
 芸能の祖神・和合の神としても信仰を集めている
 火焚祭:11月10日

 <末広家(すえひろや)>
 一ノ峯・末広社(上之社神蹟)にある店
 現地限定販売の暖簾や手ぬぐいなどがある

 <春繁社(はるしげしゃ)>
 一ノ峯からカーブして降りて行ったところにある

 <御剱社(みつるぎしゃ)(長者社神蹟)>
 春繁社から下って行ったところにある
 稲荷山七神蹟の一つ長者社神蹟
 稲荷山の3つの峰と同じように、古くからの神祭の場とされる
 「山上古図」には、「釼石(雷石)」と記されている
 刀を打つのに必要な火の神 加茂玉依姫(かもたまよりひめ)を祀り、刀鍛冶や刃物業者の信仰を得ている
 火焚祭:11月6日

 釼石(みつるぎいし)(雷石)
 社殿の後ろにある注連縄を巻かれた御神体の巨岩
 「名所都鳥」には、異形の僧がこの地を訪れ、霊力をもって石に雷を縛り付けたといわれる
 石に手を触れるとご利益があるパワーストーンといわれている

 井戸 焼刃の水(やけばのみず)
 長者社神蹟の左側にある

 手水鉢
 刀の形をしている

 乳を飲む狛犬
 子供の健やかな成長を願って寄進されたものといわれる

 <三剱家(みつるぎや)>
 御剱社(長者社神蹟)にある店
 「釼石せんべい」などが販売されている

 <薬力社(やくりきしゃ)(薬力さん)>
 御剱社(長者社神蹟)から少し進み、階段を下ったところにある
 祭神:薬力大神
 無病息災や薬効・薬害防止、薬局、製薬会社など薬関係の仕事の商売繁盛にご利益がある

 <薬力の滝(やくりきのたき)>
 薬力社を流れる滝
 稲荷山最奥部の源流の滝
 紅葉谷を経て、三ノ橋川となり、東福寺の通天橋へ流れていく

 <おせき社>
 薬力社の隣にある
 咳、喘息など喉を守護するおせき大神を祀る
 歌舞伎役者、芸能人など喉を使う仕事をしている人の信仰を得ている

 <薬力亭(やくりきてい)>
 薬力社の塚守
 薬力社境内にある手押しポンプの井戸からの御神水で作られた「健康たまご」が名物
 おせき社由来の名物ののど飴、きつねの首に掛ける「よだれかけ」なども販売している

 <御膳谷奉拝所(ごぜんだにほうはいしょ)(御膳谷旧蹟)>
 薬力社・おせき社から、数分ほど下っていったところにある
 稲荷山七神蹟の一つ
 稲荷山の三ヶ峰の北の背後、中央の谷間に位置することから、神々の前の谷を意味する「御前谷」と称されていた
 その後、三ヶ峰の神々に神饌を供えたことから「御膳谷」と称されるようになる

 稲荷山の朱印を受けられる

 秋には、紅葉谷の美しい紅葉が望める

 祈祷殿
 毎朝夕に、御日供(おにっく)が供えられる
 1月5日には、大山祭の神事が行われる

 御饌石(みけいし)
 境内に、御日供を置く神石がある

 <高倉社>
 御膳谷奉拝所から祈祷殿へ向かう途中に最初にある
 御膳谷旧蹟の一つ
 祭神:高倉大神

 <奥村社>
 御膳谷旧蹟の一つ  祭神:奥村大神
 社の両脇には狛馬がある
 <力松社>
 御膳谷旧蹟の一つ
 祭神:力松大神

 <眼力社(がんりきしゃ)(眼力さん)>
 御膳谷奉拝所から少し下ったところにある
 祭神:眼力大神、石宮大神、常吉大神
 目の病気平癒のご利益があるほか、
 転じて先見の明=眼力が授かるといわれ、会社経営者や相場関係者の信仰もある
 手水鉢の狐は、逆さまの姿勢で竹をくわえている

 <常吉大神>
 眼力社の隣にある
 電気に関する仕事をしている人にご利益のあるといわれる

 <眼力亭(がんりきてい)>
 眼力社にあるお店
 「謙虚と感謝」と書かれた眼力さんの書などが販売されている

 <大杉社(おおすぎしゃ)>
 眼力社から下っていったことろにある
 祭神:大杉大神、磐根大神
 大きな杉の切り株と石をご神体として祀られている
 木材業者や大工・建築・工務店関係者の信仰を得ている
 火焚祭:11月24日
 奉納された火焚串を忌火で焚き上げて罪障消滅、万福招来が祈願される

 <杉乃家(すぎのや)>
 大杉社にある茶店
 天然木極薄つき板のはがきなどが販売されている

 大杉社から数分下っていくと、一周したように四ツ辻に戻ってくる

 四ツ辻からのお山めぐり一周の途中、薬力亭から御膳谷奉拝所へは、
 薬力亭を北へ曲がり、清滝へ登り、紅葉谷を通り、御膳谷奉拝所へ向かうルートもある

 <傘杉社(かさすぎしゃ)>
 薬力亭から北へ、石段を登って行ったところにある
 祭神:傘杉大神

 その他、三本杉大神・一本杉大神など、付近には杉の木を御神体とする社が多数ある

 <天龍社>
 傘杉社から進んだところにある
 祭神:天龍大神
 手水鉢は龍の形をしている

 <清明滝(せいめいだき)>

 <清明舎(せいめいしゃ)>
 天龍社から進んだところにある
 稲荷山随一の滝行道場

 <天龍社清橋>
 清明舎から石段を下った先の分岐に架かる橋
 橋を渡って左へ進むと御膳谷奉拝所
 右の鳥居をくぐって進むと清滝へ通じる

 <紅葉谷>
 天龍社清橋から御膳谷奉拝所へ向かう参道の周り

 <清滝勤番所(きよたききんばんしょ)>
 天龍社清橋から右の鳥居をくぐって北に下っていったところにある
 清瀧大神が祀られている

 <清滝(きよたき)>
 清滝勤番所にある滝

 清滝勤番所から東西へ通じる山道がある
 東へ進むと山科へ、
 西の方へ川に沿って下ると、北谷を経て東福寺・泉涌寺に出る

三ヶ峰北側

 四ツ辻を左へ曲がった北方面

 <石段>
 四ツ辻から荒神峯(田中社神蹟)へ向かうやや急な石段
 朱色の鳥居が連続して立っている

 <権太夫奥村亭(ごんだゆうおくむらてい)>
 荒神峯に向かう石段の途中にあるお店

 <荒神峯(こうじんみね)(田中社神蹟)>
 四ツ辻から北へ伸びる石段を上がったところにある
 稲荷山七神蹟の一つ
 権太夫大神を祀り、
 人気を得られるご利益があるとされ、古くから役者や芸事をたしなむ人々に信仰を得ている
 火焚祭:11月13日

 <展望台>
 荒神峯から奥にある
 稲荷山十二境図詩に「孤巒返景色」とあり、京都市内中心部から以北の景観が望める

 その先を進み、急な石段を下っていくと、四ツ辻からの白瀧道との分岐点に着く

 <石鳥居>
 四ツ辻から御幸奉拝所へ向かう白瀧道の入口にある
 扁額には「白瀧大神」と記されている

 <白瀧道>
 四ツ辻から御幸奉拝所へ向かう参道
 「白瀧道」の石標と「御幸奉拝所参道」の道標が、石鳥居のそばに立っている
 途中、左側(西側)に、三ツ辻から四ツ辻へと続く参道に連続する鳥居を見下ろせる

 <分岐点>
 四ツ辻から白瀧道を進んで行ったところで、3つの方向に分岐する
 左(北西)に曲がると、御幸奉拝所への道
 まっすぐ(北東)進み石段を下っていくと白瀧社
 右(南東)へ曲がりかなり急な石段を上がっていくと、展望台と荒神峯への道

 <延命地蔵>
 白瀧道からの分岐点のすぐ先にある
 延命地蔵大菩薩が祀られている

 <駐車場>
 白瀧道からの分岐点から御幸奉拝所まで続く参道の途中にある

 <御幸奉拝所(みゆきほうはいしょ)>
 白瀧道からの分岐点からの参道を進んだところにある
 1963年(皇紀2623)昭和38年に開かれた神域
 平安時代より「御幸辺(みゆきべ)」と称される尾根で、お山参詣の重要な経路だった
 火焚祭:11月26日

 <横山大観筆塚(よこやまたいかんふでづか)>
 御幸奉拝所境内の奥、玉受社のそばにある
 稲荷社に信仰の厚かった明治時代から昭和時代にかけての日本画家 横山大観の筆塚

 <玉受社>
 御幸奉拝所境内の奥にある
 祭神:玉受稲荷

 <靜思五重塔>
 御幸奉拝所の塚群の中に建っている
 明治100年を記念して1968年(皇紀2628)昭和43年に建立された

 <京都一周トレイルコース>
 御幸奉拝所から戻らず、そのまま北へ進むと東福寺方面へと出ることができるコースにもなっている

 <石段>
 白瀧道からの分岐点を白瀧社に向かって下る参道の石段
 その後、下り坂が続き、朱色の鳥居も立ち並ぶ
 周囲の山々には、杉の木が数多く生い茂っている

 <石鳥居>
 白瀧社の入口にある
 両脇を、左は巻物をくわえた、右は何もくわえていない狛狐が守護している

 <白瀧社(しらたきしゃ)>
 稲荷山で最も北にある社
 すぐ左側には社務所もある
 祭神:白滝大神

 <白滝(しらたき)>
 白瀧社にある滝

 白瀧社からは、折り返してきて、白瀧道からの分岐点に戻る

裏参道(三ツ辻から八島ヶ池)

 大社の北側を通る裏参道の、八島ヶ池から三ツ辻までにも、多くの社や塚群がある

 奥の院からのお山めぐりの定番コースを回った後、
 三ツ辻まで戻り、そこから奥の院へ戻るのではなく、この裏参道を下山していく

 多くのものは伏見稲荷大社に属さず、民間信仰により明治時代初期以降に創建されたものといわれる

 <松尾社>
 三ツ辻から新池方面に曲がらず、まっすぐ下ったところにある
 鳥居には松尾大神・久丸大神と記されている
 久丸稲荷大神・薬丸稲荷大神・中村稲荷大神と記された塚、
 おもかる石のある徳丸大神
 開運稲荷大神と記された塚などがある

 <身代わり地蔵尊>
 松尾社から下ったところにある
 鳥居に玉五郎大神・玉剱大神と記されている

 <玉姫社>
 身代わり地蔵尊から下ったところにある
 祭神:玉姫大神

 <白狐社>
 玉姫社から下ったところにある
 祭神:白狐大神・口入大神

 <梶亭>
 白狐社と毎日稲荷社の間にあるお店

 <毎日稲荷社>
 梶亭から下ったところにある
 祭神:毎日稲荷大神、広告稲荷大神
 1907年(皇紀2567)明治40年に毎日新聞社が建立した

 <明竹稲荷宮(ひろたけいなりのみや)(腰神不動明王)>
 毎日稲荷社から少し下ったところにある
 稲荷大神や北向不動明王などが祀られている
 階段降りてすぐ右には、足腰にご利益のある腰神不動明王が祀られている
 石段入口横には、玉照大御神、石段奥には三徳大神が祀られている
 明治時代初期の創建
 本殿・社務所は、昭和時代初期の建立

 <小松社>
 明竹稲荷宮から下ったところにある
 祭神:小松大神
 鳥居をくぐると多数の塚がある

 <脳天社>
 小松大神の隣りにある
 首から上、頭の神さんとされる脳天大神を祀る

 鳥居をくぐると、弘法大師尊御守護の幟に弘法大師像、良い方へ導く道引大神、スポーツの神さんの運動大神、
大学大神、眼力大神、おせき大神など多くの塚がある

 <秀高大神>
 脳天大神の隣りにある
 生まれ年(干支)の守り本尊である十二支守本尊、身代不動明王、おたすけ不動尊、縁結大神などが祀られている

 <林亭>
 小松社・脳天社・秀高大神から下ったところにある
 オリジナルの手ぬぐいも販売されている

 <豊川社(伏見豊川稲荷本宮)>
 林亭の奥に隣接したところにある
 祭神:豊川大神(豊川稲荷(妙厳寺)(愛知県)の陀枳尼真天(だきにしんてん)
 稲荷大神の大きな塚、末吉大神の塚、白龍大神・黒龍大神の塚、龍の像などがある

 <荒木神社(あらきじんじゃ)>
 林亭から下ったところにある
 祭神:荒木大神、白砂大神・荒玉大神

 <口入稲荷本宮(くちいれいなりほんぐう)>
 荒木神社の境内入ってすぐ右側にある
 祭神:口入稲荷大神
 「口入(くちいれ)」とは「仲人」を意味し、縁結び・求人・就職など、人との良縁のご利益がある

 口入人形
 夫婦(めおと)と伴(とも)の三体一組の眷族(けんぞく)である白狐の伏見人形
 三体を神前にて祈願して、家に持ち帰り、願い事が成就するまでお祀りする
 願い事がかなうと、口入稲荷本宮へ返納する

 <身守不動明王>
 荒木神社に隣接してある
 祭神:豊川陀枳尼真天

 <白鷹大神・荒熊大神>
 身守不動明王から少し下ったところにある
 荒熊大神は、伊勢国宇治の里に鎮座し、猿田彦大神の甥にあたる神
 稲荷山の熊鷹社に鎮座する熊鷹大神の霊場で修行を積み、十万巻以上の心経の功徳により大いなる神力を会得したといわれる
 諸願成就にご利益があるといわれる
 奥に、竹の鳥居が何本も並んでいる

 <おくむら>
 白鷹大神・荒熊大神に隣接してあるお店

 <萬吉社>
 おくむらから下ったところにある
 祭神:萬吉大神

 <大日本大道教本部>
 萬吉社から下ったところにある
 道教の像が数体並んでいる

 <末廣大神>
 大日本大道教本部の奥にある
 狛蛙がある

 <阿佐田哲也大神>
 大日本大道教本部の奥にある
 祭神:阿佐田哲也(「麻雀放浪記」の作者で麻雀の神さんとされる)
 1996年に新日本麻雀連盟が建立

 <鬼法教総神苑(きほうきょうそうしんえん)>
 大日本大道教本部の向かいにある
 「鬼法尼寺」とも称される
 聖子歓喜菩薩を祀る聖子殿、釈迦堂などの建物や子供の健康と知恵の神・聖母観音菩薩の像などもある

 <梅松社>
 大日本大道教本部から下ったところにある
 祭神:梅松大神
 入口を太い桜の木の幹が塞いでいる

 <釈迦堂>
 鬼法教総神苑の堂宇の一つ
 金色の釈迦像が祀られている
 お堂の背後に桜がある

 <出世門>
 釈迦堂の向かいにある鳥居
 鳥居の真ん中が空いて、左右の土台が道の両側にある
 1996年(皇紀2656)平成8年の建造

 <間力教会(かんりききょうかい)>
 出世門から下ったところにある
 伏見稲荷本教 間力大神が祀られている
 八角堂の中心の神像を参拝すると稲荷山すべての神様に礼拝することができるという八霊社がある
 「間力」と記された日本一小さい起き上がりだるまの御守があり「ダルマ教会」とも称される
 「喝法師像」の喝おみくじもある

 <産場稲荷社(さんばいなりしゃ)(十二祠御産場)>
 稲荷山で一番麓に近いところにあり、お山詣り信仰最後の「お塚」
 稲荷山を巡拝して祈願した願い事が「産まれる場」として信仰されている
 産婆大明神が祀られており、安産にご利益がある
 お塚の周囲に12ヶ所の狐穴があり、自分の出産予定月の狐穴に祈願すれば安産が叶うとされる
 神前に残る燃えさしの蝋燭を家に持ち帰り、家で点火して蝋燭が燃え尽きる時間が短いとお産も短い時間で楽に済むといわれる

 お産婆茶屋が隣接している

 <大橋家庭園(苔涼庭)>
 産場稲荷社から参道入口側にある

 <弓矢八幡宮>
 裏参道から産場稲荷社へ北に曲がって、まっすぐ北に進み、道標があるところを右折して、
 ごんだゆうの滝道をのぼっていったところにある
 祭神:弓矢八幡大神

 <権太夫ノ滝>
 弓矢八幡宮からごんだゆうの滝道をのぼっていったところにある

 <荒木滝>
 権太夫ノ滝からごんだゆうの滝道をのぼっていったところにある

 <伏見稲荷教会>
 荒木滝からごんだゆうの滝道をのぼっていったところにある

三ヶ峰南側(お滝場めぐり)

 奥の院から、北側は「稲荷山のお山めぐり」の定番コースの出入口があり、
南側には、三ヶ峰の南に多数あるお滝場を巡ることができる

 <石標「命婦瀧」>
 奥の院の大薮茶亭の脇の石段を降りた先にある手洗所のところにある
 東へと続くお滝場めぐりコースの出発点となる

 <清メ滝>
 <八島滝>
 <命婦の滝>
 呼声大神が祀られている
 <熊鷹本滝>
 <完宗院(かんしゅういん)>

 <弘法ヶ滝>
 空海が祀られている
 伏見稲荷大社は、東寺の守護神とされている
 杖の池を水源としている

 <青木ヶ滝>
 青木大神が祀られている

 <七面の滝>
 七面大天女が祀られている

 <鳴滝>
 <白菊ノ滝>
 <御剣ノ滝>

 <末広滝>
 末広大神が祀られている

 末広滝から一ノ峯(末広社)の神蹟へ上る道がある

 <岩龍の滝>
 岩瀧大神が祀られている

 <小岩社>
 岩龍の滝からのぼっていったところにある

 <大岩社>
 岩龍の滝からのぼっていったところにある

境外

 <御旅所>
 南区西九条池ノ内町
 京都駅の南側、東寺にも近い堀川通沿いのイオンモール京都の向かいにある
かつては油小路七条と八条坊門猪熊の2ヶ所があったが、豊臣秀吉の命で一つにまとめられこの地に移された
 例大祭の稲荷祭のときには、5基の神輿の待機所となる

 末社 上命婦社
 末社 下命婦社
 末社 大神宮

 <境外摂社 田中神社>
 東山区本町20丁目
 本町通(伏見街道)が十条通と交差する北側にある
 伏見稲荷大社の主祭神・稲荷大神の一柱・田中大神が祀られている
 五穀豊穣の神さんとして信仰されている

 平安時代の一条天皇の時代には建立されていたといわれる
 正保年間(1644年~1648年)造営時奉納の石燈籠や、1700年(皇紀2360)元禄13年に寄進された手水鉢がある

 <境外末社 松明殿稲荷神社(たいまつでんいなりじんじゃ)>
 七条大橋の西詰南側にある
 「田中社」とも称される
 祭神:大己貴命、伊邪那岐命、伊邪那美命、猿田彦大神、宇迦之御魂神

 948年(皇紀1608)天暦2年の創建
 956年(皇紀1616)天暦10年に燎祭(りょうさい)が行われたときに「炬火殿」の号を賜ったことが名前の由来
 当初は黒門通塩小路近辺にあったが、七条東洞院などに移る
 1711年(皇紀2371)正徳元年に現在の地に移された

 江戸時代の「都名所図会」にも、稲荷祭のときに氏子が松明を灯して神輿を迎えていたことから
「松明殿」と称されていたことが記されている

 木像の天智天皇の像、大友皇子像が安置されている

 境内西側に、木食正禅養阿の銘のある手洗石と井戸がある

祭事

 <歳旦祭> 1月1日

 <大山祭(おおやまさい)>  1月5日
 山上神事

 <奉射祭>
 1月12日
 蛇を形どった大的を50m先に立てて、神官が弓で射て、その年の豊凶を占う

 <厄除祭> 1月18日

 <初午大祭>
 2月の初午(はつうま)の日
 大社を創建されたゆかりの秦伊呂具を偲び、畑菜の辛子和えを食べて、伏見稲荷大社へ参拝する(初午の稲荷詣)
 秦氏にかけて畑菜とし、稲荷大社に仕える狐の好物の辛子を利かせて食べると縁起がいいといわれる
 本殿や摂末社の柱には、2日前の辰の日に、稲荷山の杉と椎の枝葉を組み合せた「青山飾り(おおやまかざり)」が飾られる
 商売繁盛・家内安全の御符(しるし)として、杉の枝で作られた「しるしの杉」が授与される
 毎年、参道などで売られている布袋尊を買って帰り、おくどさんの荒神棚に並べられる
 711年(皇紀1371)和銅4年2月の初午の日
 稲荷大神が稲荷山に鎮座したことに由来するといわれる

 <節分祭> 2月3日
 <紀元祭> 2月11日
 <祈年祭> 2月17日

 <献花祭(けんかさい)>
 4月1日
 華道隆盛を祈願して、池坊社中の奉仕により献花の儀が行われる

 <稲荷祭・神幸祭>
 4月20日最寄の日曜
 稲荷大神が年に一度、氏子区域から伏見稲荷大社 御旅所まで巡幸する最も重要な祭事

 <中堂寺六斎念仏>
 4月29日
 伏見稲荷大社御旅所にて

 <産業祭・献茶祭> 4月10日に近い日曜日
 <水口播種祭> 4月12日

 <例祭(稲荷祭・還幸祭)>
 5月3日
 5基の神輿が伏見稲荷大社 御旅所から京都駅周辺・松原通までの氏子区域を巡幸して還幸する
 平安時代からの伝統の最大の祭事

 <藤森神輿前祭> 5月5日

 <田植祭>
 6月10日
 4月の水口播種祭で種おろしされて成長した早苗を、神田に植えて、一年の豊作が祈願される
 平安朝の衣装汗衫姿の神楽女により、優雅な御田舞が奉納される
 雅楽が流れる中、早乙女30余名による田植神事が行われる

 <大祓式> 6月30日

 <本宮祭(もとみやさい)>
 7月土用入後初の日祝日
 稲荷大神のご分霊を祀る全国の崇敬者が総本宮に参拝する大祭
 宵宮には、境内の全域に散在の石灯篭や、数千におよぶ献納提灯に灯を点ずる万灯神事が行われる
 外拝殿や、その周辺で日本画家などの奉納による約400点の行灯画(あんどんが)が並べられる
 参集殿前の広場では、本宮踊りが賑々しく奉納される

 <交通安全祈願祭>
 9月1日
 本殿で祭典が行われ、楼門前で車のお祓いと御札が授与される

 <講員大祭(こういんたいさい)>
 体育の日の前々日と前日
 講務本庁の講員や、崇敬者が、ご神恩に感謝し、家内安全、生業繁栄が祈願されるお祭
 中堂寺六斎念仏踊りや狂言が行われる

 <醸造祭> 10月21日

 <抜穂祭(ぬきほさい)>
 10月25日
 4月の水口播種祭、6月の田植祭と、大神の御霊の働きによって稔った稲を刈り取る祭事
 刈り取られた稲は、11月の新嘗祭に大神にお供えされる
 稲葉は、11月の火焚祭に焚き上げられる

 <火焚祭>
 11月8日
 秋の収穫後、五穀豊饒・万物を育てた稲荷大神のご神恩に感謝し、春に迎えた稲荷大神を再び山に送る神事
 古来からの伝統行事
 全国崇敬者から奉納された十数万本の火焚串を火床で焚き上げ、大祓詞を奉唱して、家内安全・罪障消滅・万福招来が祈願される
 火焚神事の後に、神楽女による神楽舞「人長舞」が奉納される「御神楽(みかぐら)」が行われる

 <新嘗祭(にいなめさい)>
 11月23日
 抜穂祭で刈取られた新穀を大神に供え、豊作を感謝し、国家平安が祈念される

 <天長祭> 12月23日
 <煤払祭> 12月申の日

 <大祓式(おおはらえしき)・除夜祭>
 12月31日

 この後半年の罪穢れを祓い形代を河海に流して清々しく新年を迎える神事

伏見稲荷大社の七不思議

<お山の土>

 この土を田んぼに入れると、五穀がよく実るといわれる
 稲荷大神は、もともと五穀豊穣を司る神さま
 これにあやかり、稲荷山の土で伏見人形が作られるようになる
 土を丸めて色を塗っただけの人形を、田畑に入れて豊作を祈願される

<千本鳥居>

 約1万基の鳥居がある
 特に、朱色の鳥居がトンネルのように続く千本鳥居は名所となっている
 鳥居を奉納する習わしが、江戸時代に始まったといわれる

<無数の塚>

 稲荷山の一周に無数の塚がある

<おもかる石>

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 燈籠の宝珠
 願いを込めて持ち上げたときに、石が軽くなると願いが叶い、重いと叶わないといわれる

<験の杉(しるしのすぎ)>

 2月初午の日の初午大祭(初午の稲荷詣)のとき、神木の杉の枝を手折って持ち帰り、植えて根がつけば、その年は吉といわれる
 現在では、験の杉が授与される

<御劒社の霊岩>

 謡曲「小鍛冶」で唄われる刀匠 三条宗近が、稲荷明神の力に助けられ、宝刀 小狐丸を鍛え上げたといわれる
 「合槌稲荷」の故事も残る

<宗近の井戸>

 一条天皇より名刀を打つように勅命を受けた刀匠 三条宗近が、
名刀の製作に用いたという霊験がある井戸

<奴禰鳥居(ぬねとりい)>

 三ノ峯の荷田社にある鳥居
 中央の額束(がくつか)のところが、交差合掌の形になっている珍しいもの

<お産婆稲荷のロウソク>

 かつて、ここに狐が住んでいて、安らかに子供を産んだことから、安産の神さまとして建立された
 神前に残る燃えさしの短いロウソクをもらって帰ると、お産は、そのロウソクが燃え尽きるまでに済むといわれる

<八嶋池の大八嶋社>

 昔から社殿がなく、朱色の玉垣で囲われた30m2程の森の地表に木の根が浮き出している

<三剣稲荷(みつるぎいなり)>

 三条宗近が、刀を石にあてたところ三段に切れたといわれる

その他

 <きつね煎餅>
 伏見稲荷大社の門前の名物煎餅

 <きつね面>
 2月最初の午の日 伏見稲荷大社の初午大祭のとき食べる干菓子

 <稲荷詣に愛宕詣>
 雲が南側に流れると、晴れるといわれる
 雲が愛宕神社がある西側に流れると、天気がくずれるといわれる

 <社家>
 伏見稲荷大社の社家には学者が多い

 <「いなり、こんこん、恋いろは。」>
 伏見を舞台にした、よしだもろへ原作のラブコメディアニメ
 伊奈里神社(伏見稲荷大社)の近所に住む女子中学生の伏見いなりは、怪我をして川に落ちそうになっていた神使の子狐を助ける
 伏見いなりは、神社の主祭神である稲荷神うか(宇迦之御魂神)と出会い、他人の姿に変化できる神通力を授かる

経緯

奈良時代中期
711年(皇紀1371)和銅4年初午の日
秦伊呂具が、稲荷山の三ヶ峰(みつかみね)に、宇迦之御魂神・佐田彦大神・大宮能売大神の3柱を創祀したのが由来
 秦氏の子孫が歴代 稲荷社の祠官となる

 「山城国風土記」逸文によれば、
 秦伊呂具が、餅を的にして矢を射ったところ、その餅が白鳥になって山の峰に飛んで行き、
そこに稲が生えたので、その穀霊を祀り「伊禰奈利(いねなり)」と称され社名になったといわれる

 816年(皇紀1476)弘仁7年
 現在の地に社殿が移されたといわれる

 827年(皇紀1487)天長4年
 空海が東寺の鎮守神として稲荷神を祀る

 852年(皇紀1512)仁寿2年
 祈雨奉幣が行われる
 それ以来、歴代天皇の行幸や勅使がつかわされ、五穀豊穣・家業繁栄の神さまとして広く信仰を集め

 1499年(皇紀2159)明応8年
 応仁の乱で焼失した本殿(重要文化財)が再建される