auto-n8mFS2.jpg

八坂神社
八坂神社(やさかじんじゃ)は、東山区の中心部、四条通の東端にある神社
四条通の西端には、松尾大社がある
かつて「祇園社(ぎおんしゃ)」など、いろいろな名前で称されてきたが、明治時代の廃仏毀釈令により「八坂神社」と称される
古くから疫病除けの神として広く信仰を集め、御霊会(現在の祇園祭)を行ったといわれる
現在も日本各地に約3千の分社がある
日本神話によると、祭神の素戔嗚尊は、八岐大蛇(やまたのおろち)(あらゆる災厄)を退治して、櫛稲田姫命を救い、地上に幸いをもたらした神さんといわれる

八坂神社:目次
青色文字をクリックで詳細へジャンプ

写真集

基本情報

所在地:京都市東山区祇園町北側
祭神:中御座:素戔嗚尊
    東御座:櫛稲田姫命
    西御座:八柱神子神(やはしらのみこがみ)
社格:明神二十二社下八社、官幣大社、別表神社
旧称:祇園社(ぎおんしゃ)、祇園感神院(ぎおんかんじんいん)、祇園天神社(ぎおんてんじんしゃ)、牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)
通称:祇園さん(ぎおんさん)

補足情報

Map 情報

八坂神社 境内Map

【経緯】

 奈良時代
 656年(皇紀1316)斉明天皇2年
 高麗(こうらい)から渡来してきた伊利之(いりし)(八坂造の祖)が、新羅国の牛頭山(ごずさん)の素戔嗚尊の神霊を、
八坂郷に祀り、子孫代々が祠官として奉仕したのが由来といわれる
 八坂神社のある東山一帯はひらけた場所で、八坂造一族(やさかのみやつこいちぞく)が住み始めたといわれる

 八坂神社一帯に広大な寺域を持ち、高い格式を誇った「観慶寺(別名:祇園寺)」と称された定額寺があったといわれ、
その境内にあった「天神堂」が八坂神社の前身といわれる
 観慶寺が衰退し、天神堂が多くの崇敬を集めるようになり、その別称から「祇園社(八坂神社)」と称されるようになったといわれる
 鳥居の扁額には、「感神院」と記されていたといわれる

 平安時代初期
 「三代実録」によると
 865年(皇紀1525)貞観7年6月7日
 御霊(ごりょう)を退散させる、御霊会が行われたことが記されている

 「祇園社本縁録」によると
 869年(皇紀1529)貞観11年6月7日
 疫病が流行し、神泉苑に矛66本を立て、祇園社から神輿を送ったことが記されており、
 牛頭天王(ごずてんのう)に疫病退散を祈願されたのが祇園会(祇園祭)の由来となる

 876年(皇紀1536)貞観18年
 南都興福寺の円如(えんにょ)が、堂宇を建てて、のちに祇園天神堂(ぎおんてんじんどう)を建立したといわれる

 明治維新
 廃仏毀釈により祇園社 観慶寺が廃寺になり、仏像やその周りの仏具が全て大蓮寺に移される

【祭神】

 祭神は、素戔嗚尊、櫛稲田姫命、八柱神子神(やはしらのみこがみ)

 <素戔嗚尊>
 天照大御神の弟神
 天照大御神は、天津神(あまつかみ)の代表、素戔嗚尊は地祇(くにつかみ)の代表的存在として崇敬されている

 素戔嗚尊は、母親の死に悲しみ、高天原で暴れさまざまな罪も犯し、天照大御神から高天原から追放されるが、
 八岐大蛇(やまたのおろち)(あらゆる災厄)を退治し、
 櫛稲田姫命を救って妻として、地上に幸いをもたらした偉大な英雄神

 「古事記」では「須佐之男命」、「日本書紀」では「素戔嗚尊」と表記されている

 インドの釈迦の生誕地にちなむ祇園精舎の守護神でもり、牛頭天王(ごずてんのう)ともされる
 新羅に牛頭山という山があり、熱病に効果のある栴檀(せんだん)が採れることから、この山の名を冠した神と同一視される

 「伊呂波字類抄」によると
 牛頭天王は、天竺北方の九相国の吉祥園の城の王で、武塔天神ともいわれる

【境内】

 <本殿(重要文化財)>
 正面に向拝があり、もとは別棟であった拝殿と本殿とを、一つの大屋根で覆ったもの
 他に例がない珍しい建築様式で「祇園造」と称される
 正面七間側面六間、単層、入母屋造、檜皮葺き
 建面積 662m2  軒面積 1095m2  屋根面積 1320m2

 平安時代初期
 藤原基経が建立した観慶寺感神院の本殿が由来

 「二十二社註式」によると
 935年(皇紀1595)承平5年6月15日の太政官符で、
「神殿五間檜皮葺一宇」と「五間檜皮葺礼堂一宇」と記されており、本殿と礼堂(現在の拝殿)が別棟であったとされる

 「古図(重要文化財)」によると
 986年(皇紀1646)寛和2年
 古図の原本に八坂神社が描かれており、このときにには現在の様式の本殿が描かれている

 1492年(皇紀2152)明応元年 本殿が再建される
 1646年(皇紀2306)正保3年  本殿が焼失する
 1654年(皇紀2314)承応3年
 現在の本殿が、徳川家綱により再建され、蟇股や手挟などに桃山風の華麗な彫りが施されている
 2002年(皇紀2662)平成14年4月15日
 平成の大修造営が行われ色彩豊かな本殿に修復され、本殿遷座祭が斎行された

 <舞殿(まいどの)>
 南楼門を入って正面にある
 その奥に本殿がある

 <西楼門(にしろうもん)(重要文化財)>
 四条通、東大路通に面する門
 三間一戸、切妻造、本瓦葺
 応仁の乱で焼失
 1497年(皇紀2157)明応6年に桧皮葺で再建される
 永禄年間(1558年~1570年)に瓦葺きに替えられる
 1913年(皇紀2573)大正2年
 四条通の拡張に伴い移動し、左右に翼廊が付けられて現在の姿となる

 平安時代
 歌人 藤原俊成が「霧の内もまつ面影に たてるかな西の御門の石のきさはし」と詠んでいる

 <石鳥居(重要文化財)>
 境内の南、正面入口、南楼門の前に立つ
 高さ約9.5mの明神鳥居  扁額は、有栖川宮熾仁親王の筆
 現存する石鳥居で最も大きいものといわれる
 1646年(皇紀2306)正保3年の建立

 <南楼門>
 石鳥居から入る八坂神社の正門

 <絵馬堂>
 疫神社の北側にある
 近世の画家が描いた絵馬や、江戸時代から現在までに奉納された絵馬が掲げられている

 <月下氷人石(げっかひょうじんせき)>
 南楼門南側に立つ、高さ約1mほどの石柱
 案内板的に利用されたもので、「奇縁氷人石」とも称され、右側に「たづぬる方」、左側に「おしゆる方」と彫られている
 1839年(皇紀2499)天保10年の建立
 京都市内に現存する3石柱(誓願寺と北野天満宮、八坂神社)の一つ

 <忠盛燈籠>
 拝殿の東方にある高さ約2.4mの六角型石燈篭
 平忠盛と白河上皇の故事が残る
 鎌倉時代の作

 <龍穴>
 本殿の下の池
 深さ50丈(約152m)以上ある底知れぬ深さがある
 龍脈が神泉苑に通じているといわれる
 陰陽道では、地の気が集まるところを「龍穴」、その気が流れる道を「龍脈」と称する
 八坂神社の祭事である祇園祭の由来が、神泉苑に、疫病退散のために、66本の矛を立てて、神輿を送って災厄除去を
祈願したという縁もある

【摂社】

 <悪王子社(あくおうじしゃ)>
 祭神:素戔嗚尊の荒魂(あらみたま)
 「悪王子」の「悪」とは、「強力」という意味
 荒魂は、現実に姿を現す、霊験あらたかな神
 天正年間(1573年~1592年)
 もとは、東洞院四条下ル元悪王子町にあったが、烏丸通万寿寺下ル悪王子町に遷る
 1596年(皇紀2256)慶長元年に四条京極に遷り、
 1877年(皇紀2537)明治10年に現在の地に遷される

 <疫神社(えきじんじゃ)>
 祭神:蘇民将来
 西門を入った突き当たりにある
 「備後国風土記」などに蘇民将来の故事が残る
 例祭:1月19日
 夏越祭:7月31日祇園祭
 社頭に大きな茅の輪が建てられ、それをくぐり邪気が祓われる

 <冠者殿社>
 祭神:天照大御神との誓約時の素戔嗚尊の御気

【末社】

 <大年社(おおとししゃ)>
 祭神:大年神(おおとしのかみ)、巷社神(ちまたやしろのかみ)
 別名:祇園古宮(ぎおんこみや)
 例祭:節分の日
 大年神は、素戔嗚尊の御子で、穀物守護の神
 この辺り一帯の農耕の神として祀られていた
 節分の神ともいわれる

 <大神宮社(だいじんぐうしゃ)>  祭神:天照大御神、豊受大御神
 例祭:春季祭(4月17日)、秋季祭(10月17日)
 内宮(ないくう)の天照大御神は、皇室の祖神(おやがみ)で、素戔嗚尊の姉神
 外宮(げくう)の豊受大御神は、天照大御神の食事を司る神

 <美御前社(うつくしごぜんしゃ)>
 祭神:宗像三女神[市杵島比売命、多岐理毘売命(たぎりひめ)、多岐理比売命(たぎつひめ)]
 素戔嗚尊が、天照大御神と誓約(うけい)をされたときに、素戔嗚尊の十拳剣を振りすすいで生まれた三柱の女神
 美を司り、清浄・潔白の証とされる
 「弁天さん」は、市杵島比売命のこと
 本殿の脇の水は、龍穴の水脈を引くといわれ、気のエネルギーを得る「力水」と称され、力水をいただき、美御前社に参拝すると、
美しくなるといわれる
 美容水もあり、数滴、肌につけると、肌の健康が守られるといわれる
 祇園の芸妓・舞妓さんや、美容理容・化粧品業者などの崇敬を集めている

 <日吉社(ひよししゃ)>
 祭神:大山咋神、大物主神
 日吉社祭:4月初申日(はつさるのひ)
 大山咋神は、素戔嗚尊の三世の孫
 大物主神は、素戔嗚尊の七世の孫で、大国主命の分魂(わけみたま)
 京都の鬼門(北東)を守るため方位除の神として崇敬されている

 <刃物神社>
 祭神:天目一箇神
 刃物発祥の地とされる
 苦難を切捨て、未来を切り開く神

 <祖霊社(それいしゃ)>
 八坂神社の役員や関係物故者の御霊が祀られている
 春季祭:春分の日
 秋季祭:秋分の日

 <厳島社(いつくしましゃ)>
 祭神:市杵島比売命
 厳島社祭:3月15日
 市杵島比売命は、素戔嗚尊の十拳剣から生まれた三柱の女神の一神
 容姿端麗で舞を踊ることから、舞踏・謡曲の神として崇敬されている

 <北向蛭子社(重要文化財)>
 祭神:事代主神
 1646年(皇紀2306)正保3年の建立

 <大国主社>
 祭神:大国主命、事代主神、少彦名命

 <玉光稲荷社>
 祭神:宇迦之御魂神

 <太田社>
 祭神:猿田彦大神、天鈿女命
 猿田彦大神は、天孫降臨のときに先導をした神
 天鈿女命は、天岩戸隠れのときに、神楽を舞った芸能の神

 <十社>
 多賀社(伊邪那岐命)、熊野社(伊邪那美命)、白山社(白山比咩神)、愛宕社(伊邪那美命、火産霊神)、
 金峰社(金山彦命、磐長比売命)、春日社(天児屋根命、武甕槌神、斎主神、比売大神)、香取社(経津主神)、
 諏訪社(建御名方神)、松尾社(大山咋神)、阿蘇社(健磐龍神、阿蘇都比咩命、速甕玉命)

 <五社>
 八幡社(はちまんしゃ):応神天皇 例祭:9月15日
 竈神社(かまどしゃ):奥津日子神(おくつひこのかみ)、奥津比売神(おくつひめのかみ) 例祭:11月28日
 風神社(かぜじんじゃ):天御柱命(あめのみはしらのみこと)、国御柱命(くにのみはしらのみこと) 例祭:4月4日
 天神社(てんじんじゃ):少彦名命 例祭:12月8日
 水神社(みずじんじゃ):高おかみの神、罔象女神(みずはのめのかみ) 例祭:6月1日

 <境外末社 冠者殿社>

【文化財】

 <木造狛犬(重要文化財)>

 <太刀(重要文化財)>
 銘に「豊後国行平作」とある
 平安時代末期の豊後(現在の大分県)の刀工 行平(ゆきひら)の作

 <太刀三口(重要文化財)>
 銘に「祇園社御太刀」「承応三甲午年九月吉日」とある
 江戸時代の刀工 出羽大掾国路(でわだいじょうくにみち)の作

 <鉦鼓一口 附: 鉦鼓一口(重要文化財)>
 銘に「長承三年」とある
 1134年(皇紀1794)長承3年の作

 <算額(重要文化財)>
 1691年(皇紀2351)元禄4年
 長谷川鄰完の奉納
 絵馬堂で復元額が展示されている

 <紙本着色 祇園社絵図 (重要文化財)>
 <祇園執行日記9冊附 祇園社記等59冊(重要文化財)>
 <八坂神社文書(2,205通)89巻(重要文化財)>

【祭事】

 <をけら祭> 1月1日
 <元始祭>  1月3日

 <かるた始め式>
 1月3日
 十二単姿の女性たちによりかるた取りが競われる

 <蛭子船巡行>  1月9日夕方
 七福神が乗った「えびす船」が四条通を烏丸通まで巡行する
 福娘たちにより、福笹が四条通界隈の商店に配られる
 9日・10日の二日間だけ、本殿、蛭子社、大黒社の三社に参拝する「三社詣」が行われ、宝舟が描かれた用紙に朱印を押してもらう

 <蛭子社祭(十日ゑびす大祭)>  1月10日

 <節分祭>
 2月2日、3日
 祇園かいわいの四花街の芸子・舞妓さんらにより舞踊が奉納され、開運の豆まきが行われる

 <お茶壷道中>
 5月2日
 八十八夜を期して、お茶壷道中が建仁寺から祇園を練り歩き、八坂神社に向かう

 <端午祭>
 5月5日
 境内で、鯉のぼりが上げられる

 <例祭>
 6月15日
 平安時代から宮廷で行われていた歌舞「東游」が奉納される
 本殿では、和歌の披講も行われる

 <祇園祭>
 7月1日~31日
 日本三大祭の一つ
 1ヶ月間にわたり様々な祭事が行われる
 八坂神社の紋と、キュウリを輪切りにした切り口の模様が似ていることから、
八坂神社の祭事である祇園祭の間は、恐れ多くもったいないこととされてキュウリを口にしない風習がある
 キュウリの一番美味しい7月の時期にあえて食べないということは、祇園祭が無事に終わることを切に願ってのことといわれる

 <疫神社夏越祭>
 7月31日祇園祭最終日
 疫神社の社頭に、大きな茅の輪が建てられ、それをくぐり邪気が祓われる
 神前に粟餅を供え厄除を祈願する
 粟餅を供えるのは、祭神 素戔嗚尊が蘇民将来の家で粟の粥でもてなしを受けたという神話に由来する

 <七夕祭> 8月7日
 <観月祭> 中秋名月
 <舞楽奉納> 11月3日

 <鑚火式(さんかしき)>
 12月28日
 をけら火の浄火をきり出す神事
 桧の杵(きね)と臼をすり合わせて火をおこし、「削り掛けの木」に移して神前に供える
 大晦日の夜に、境内の鉄籠に移される
 発火が早いか遅いかで、新年の豊凶が占う

 <をけら詣>
 12月31日の夜から元旦の早朝にかけて
 除夜の鐘の後、八坂神社で焚かれた神火「をけら火」 を吉兆縄に移して家に持ち帰り、
その神火で、おくどさん(台所のかまど)の火をおこしてお雑煮が焚かれ、一年間の無病息災が祈念される

【御旅所】

 <四条御旅所(しじょうおたびしょ)>
 所在地:下京区四条通寺町東入南側貞安前之町
 1912年(皇紀2572)明治45年
 四条通の拡張に伴い、現在のものになる
 7月17日の神幸祭に八坂神社からの神輿三基が渡御し、24日の還幸祭までとどまる

 <大政所御旅所>
 所在地:下京区大政所町
 かつての御旅所で神輿の渡御があった
 現在は、小祀が建っているのみ
 7月16日には、長刀鉾の神剣拝戴の儀式が行われる

 <少将井御旅所旧跡>
 所在地:京都御苑内宗像神社境内
 現在の、四条京極に移される以前に、少将井神輿(櫛稲田姫命)が安置された御旅所
 かつては、現在の中京区車屋町通夷川上ルあたりにあった
 現在は、小祠が祀られている

 <御手洗井>
 かつて、祇園御旅所があったところにある
 普段は、木の柵により閉じられており、祇園祭の宵々山(7月15日)から還幸祭(7月24日)の間だけ開放される

【八坂神社の七不思議】
 <雨垂れがしない西楼門(にしろうもん)(重要文化財)>
 <巣を作らない西楼門(にしろうもん)(重要文化財)>
 <絵馬堂>
 <夜泣き石>
 <二見岩>
 <龍穴>
 <龍吼(りゅうぼえ)>

【故事】

 <忠盛燈籠>
 拝殿の東方にある石燈篭
 雨の夜、燈籠に灯を入れようとしていた僧侶を怪物に見まちがい驚く白河法皇を、お伴していた平忠盛が沈着冷静に見定め
対処したという故事
【観光】
 <東山花灯路>
 3月上旬
 東山山麓の、北は青蓮院から知恩院、円山公園、八坂神社を通って南は清水寺までの散策路約4.6kmに露地行灯が
約2,400基設置される
 八坂神社では、西桜門のライトアップや境内108の灯籠に灯が灯される

 <東山参道>
 ねねの道と智慧の道と神幸道の三つの道のことを称する
 三つの道は、円山公園付近でつながりそれぞれ知恩院、八坂神社へと続く