常照寺/P

常照寺(じょうしょうじ)は、郊外北西部の鷹ヶ峰の南麓、本阿弥光悦の芸術村だったところにある寺院
 開山である日乾上人に帰依した島原の2代目 吉野太夫のゆかりの寺
 灰屋紹益の妻 二代目 吉野太夫は、和歌・連歌・俳句・書道・茶道・香道・囲碁などあらゆる諸芸に優れ、寛永三名妓天下随一の太夫として、その美貌と名声が中国 唐にいたるまで知られていたといわれる
 本阿弥光悦の縁故から日乾上人に帰依したといわれる
 歌舞伎においても、豪商の夫 灰屋紹益とのロマンスが著名で演目にもなっている

 吉野太夫を偲んで植えられたという吉野桜など、桜の名所にもなっている
 夏は紫陽花(あじさい)、秋には萩と紅葉の名所
 4月中旬〜5月上旬は、霧島つつじ、6月は鉄線(てつせん)、9月は萩の花の名所

基本情報

日蓮宗の寺院
山号:寂光山(じゃっこうざん)
本尊:久遠実成本師釈迦牟尼仏(くおんじつじょうのほんししゃかむにぶつ)
開山:日乾上人(にちけんしょうにん)
通称:檀林の寺(だんりんのてら)、吉野の寺(よしののてら)

【経緯】

江戸時代初期

  • 1615年(皇紀2275)元和元年
     芸術家 本阿弥光悦が、徳川家康から鷹峯に9万坪の土地を与えられ、一族や工匠などと移り住み芸術村を築く
  • 1616年(皇紀2276)元和2年
     本阿弥光悦から土地の寄進を受ける
  • 1627年(皇紀2287)寛永4年
     本阿弥光悦の子 本阿弥光瑳の発願により、
     日蓮宗の中輿の祖といわれる日蓮宗総本山身延山 第21世 寂照院 日乾上人(にちけんしょうにん)が招かれ、日蓮宗の学問所・学寮として鷹峰檀林を開設する
     山城六檀林(やましろろくだんりん)の一つとして多くの学僧が学び栄える
     広大な境内に三十余棟の堂宇が並ぶようになる
     明治時代になって、新規学制により廃檀となる

【伽藍】

 <本堂> 日潮上人の筆の扁額「旃檀林」が掲げられている
 <吉野門> 朱塗りの山門で、「吉野の赤門」と称される
       島原の2代目 吉野太夫が、23歳の時に寄進したもの
 <鬼子母神堂(きしもしんどう)> 境内の一番奥に建つ
 <開山堂> 遺芳庵の後方の墓地に開祖 日乾上人が祀られている
 <吉野太夫のお墓> 開山堂の奥にある
 <比翼塚> 吉野太夫と豪商の夫 佐野紹益(灰屋紹益)のお墓
       灰屋紹益の歌碑もある
 <茶室 遺芳庵(いほうあん)> 吉野太夫が好んだ大きな丸窓「吉野窓」が配されている
 <吉野桜> 吉野太夫を偲んで植えられたという吉野桜
 <帯塚(おびづか)>
 山門をくぐった右手にある塚
 女性の心の象徴でもある「帯」に感謝し、供養するために建立されたといわれる
 帯塚の石は、四国 吉野川で採取された重さ約6トンの自然石
 庭は、中根近作の設計により、苔をもって鷹ヶ峰三山が表現されている
 昭和44年(1969)5月
 大阪芸術大学学長 中根金作らにより建立される

【祭事】

<吉野太夫花供養>
 4月第2日曜(かつては4月第3日曜に行われていた)
 灰屋紹益の妻 吉野太夫を偲び、お墓に献茶の法要が行われる
 島原の太夫が内八文字を踏みながらの太夫道中が披露され、禿(かむろ)がお伴する
 例年、吉野太夫を偲んで植えられたという吉野桜が見頃となる

もっと詳しく