康勝(こうしょう)(Kousyou)

基本情報

鎌倉時代の大仏師
生没年:不詳
幼名:康海
運慶の四男
兄:湛慶
息子:康清
流派:慶派

 康勝(こうしょう)は、運慶の四男で、鎌倉時代の慶派の大仏師
【経緯】
 生没年は、不詳
 大仏師 運慶の四男とされる

 鎌倉時代初期
 1197年(皇紀1857)建久8年
 東寺の南大門の金剛力士像(仁王像)(現存せず)などの造立に、運慶と兄 湛慶ら4兄弟とともに携わったのが、
史料上の初見とされる

 1208年(皇紀1868)承元2年から1212年(皇紀1872)建暦2年
 運慶が一門の仏師を率いて完成させた興福寺 北円堂の復興のための造仏にあたって、
四天王のうちの多聞天像(所在不明)を担当した

 1223年(皇紀1883)貞応2年4月
 地蔵十輸院の四天王像(後に高山寺に移されたといわれる)のうち多聞天像を担当した

 1231年(皇紀1891)寛喜3年3月から1232年(皇紀1892)貞永元年8月
 銅工 平国友とともに、法隆寺 金堂の銅造 阿弥陀三尊像を制作する

 1233年(皇紀1893)天福元年10月
 東寺の弘法大師像を製作する

 1237年(皇紀1897)嘉禎3年11月27日
 息子の仏師 康清が、康勝の霊を弔っている
【主な作品】
 <弘法大師坐像(国宝)>
 東寺の御影堂に安置されている
 像高83cm
 1233年(皇紀1893)天福元年10月

 <空也上人立像(重要文化財)>
 六波羅蜜寺に安置されている
 像高117.6cm
 制作年不明
 口から6体の阿弥陀如来の小像を吐き出している特異な姿をしている
 6体の阿弥陀如来は「南無阿弥陀仏」の6字が仏と化したことを意味する
 「僧康勝」の銘がある

 <銅造 阿弥陀三尊像(重要文化財)>
 法隆寺 金堂の西の間に安置されている
 像高63.6cm
 1232年(皇紀1892)貞永元年8月
 当初に安置されていた阿弥陀三尊像が盗難にあった後、飛鳥様式を模して造られた像
 両脇侍のうち勢至菩薩像は明治時代初期にお寺から流出して、パリのギメ美術館の所蔵となっている

 <円成寺四天王像(重要文化財)>
 推定作
 1217年(皇紀1877)建保5年