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東寺
東寺(とうじ)は、京都駅の南西にたち、五重塔など京都の代表的な名所となっている寺院
平安京造営にともない創建された官寺で「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」と称する
弘法大師 空海ゆかりの寺院で、仁和寺、神光院とともに京の三弘法の一つ
鎌倉時代からは、弘法さんに対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として皇族から庶民まで幅広い信仰を集めている
伽藍の規模は平安時代のまま残っている
伽藍配置は、奈良時代の寺院建築形式で、南大門、金堂、講堂、食堂(じきどう)が南から北へ一直線に整然と並び、左右に、五重塔と灌頂院が配置されている
空海が今も生きているがごとく朝食を捧げる「生身供(しょうじんく)」の儀式は、現在も毎日早朝6時から東寺の西院御影堂で行われいる
毎月21日の空海の命日に供養を行う御影供(みえく)の日には市が行われ「弘法市」「弘法さん」として親しまれている
 6月下旬は、蓮(ハス)の名所 空海

東寺:目次
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写真集

基本情報

正式名称:教王護国寺(きょうおうごこくじ)東寺HP
所在地:京都市南区九条町
真言宗の総本山
山号:八幡山
本尊:薬師如来
通称:お大師様の寺、左大寺、左寺
世界遺産(古都京都の文化財)の一つ
都七福神めぐりの一つ(毘沙門天)
洛陽三十三所観音巡礼第二十三番札所(十一面観音菩薩) 第二十四番札所へ
京の三弘法の一つ(東寺・仁和寺・神光院)

Map 情報

【経緯】

平安時代初期

  • 794年(皇紀1454)延暦13年 [#i9eab127]
    平安京造営にともない
    平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」という2つの寺院が建立される
    それぞれ左京と右京を守る王城鎮護(おうじょうちんご)、また、東国と西国とを守る国家(皇室)鎮護の寺として二大官立寺院とされる

    王城鎮護(おうじょうちんご)とは、「天皇の都を護る」と云うこと。「王」は天皇、「城」は街を意味します。似た表現に「鎮護国家」がありますが、この場合「国家」とは今の我々が考える国家ではなく、皇室を意味

     西寺は、早い時期に衰退し、現在は京都市南区唐橋の児童公園内に「史跡西寺跡」の碑があり、付近に「西寺」の寺名のみを継いだ小寺院が残っている
  • 823年(皇紀1483)弘仁14年
    嵯峨天皇により、唐から戻った弘法大師 空海に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた
  • 825年(皇紀1485)天長2年
    空海が、講堂を築造し、翌3年には、五重塔の造営に着手
  • 828年(皇紀1488)天長5年
    空海が、庶民のための学校・綜芸種智院を建立する
    綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)は、平安時代に、空海が庶民のために創立した私立学校
    「綜芸」とは「あらゆる学問」、「種智」とは「仏の智」の意味
  • 827年(皇紀1487)天長4年
    空海が東寺の鎮守神として伏見稲荷大社に稲荷神を祀る
  • 835年(皇紀1495)承和2年
    空海が、宮中で、天皇の安泰を祈願する儀式である後七日御修法(ごしちにちみしほ)を行い、王城鎮護の寺として広く信仰を集めるようになる

 空海の没後、一時荒廃する

鎌倉時代

  • 1197年(皇紀1857)建久8年
    神護寺の文覚(元武士の遠藤盛遠)が、後白河法皇の意を得て再興に着手し、源頼朝の援助などで復興する
    後白河法皇の皇女である宣陽門院が、空海に深く帰依し、霊夢のお告げに従い、東寺に莫大な荘園を寄進する
    宣陽門院は、空海が生きているがごとく毎朝食事を捧げる儀式である「生身供(しょうじんく)」や毎月21日の空海の命日に供養を行う「御影供(みえく)」などの儀式を創始する
  • 1308年(皇紀1968)徳治3年
    後宇多法皇が、密教の奥義を師匠から弟子へ伝える儀式である伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を受け、教学の充実を図り、所領を寄進する
    後宇多法皇の伝法会(でんぽうえ)、勧学会(かんがくえ)の確立は、後に優れた学僧を輩出することになる
  • 1568年(皇紀2228)永禄11年9月
    足利義昭の警護をし、浅井長政とともに上洛を果たし、足利義昭を清水寺に居させ、織田信長は、東寺に陣を構え、洛中を制圧した

【伽藍】

東寺の境内は、国の史跡に指定されている
東寺の伽藍配置は、奈良時代の寺院の建築様式で、南大門、金堂、講堂、食堂(じきどう)、北大門が一直線に並んでいる
南大門の東に五重塔、西に潅頂院が建っている
「仏」「法」「僧」

<五重塔(国宝)>

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金堂の東側、境内の東南隅に建つ、現在の京都のシンボルとなっている塔
基壇礎石上から最高部の相輪頂(そうりんちょう)まで総高54.8mで、現存する木造塔としては日本一の高さを誇る

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初層内部は、中央に須弥檀があり、柱や長押を極彩色の文様が付けられている絢爛たるもの心柱を真言密教の本尊である大日如来にみたてて、心柱を守るように金剛界四如来仏が鎮座している
四方柱に金剛界曼荼羅、四面の側柱に八大竜王、四方の壁には真言八祖像が描かれており、曼荼羅を形成している
長谷川等竹の筆といわれる

金剛界四如来仏とは、

  • 阿閦(あしゅく)如来:「薬師如来と同等」病気治癒:東向き
  • 不空成就(ふくうじょうじゅ)如来:「釈迦如来と同等」願い:北向き
  • 阿弥陀(あみだ)如来:極楽浄土:西向き
  • 宝生(ほうしょう)如来:世界平和:南向き
  • 826年(皇紀1486)天長3年
    空海が創建に着手し、約50年後に完成したといわれる
    4度焼失し、その都度、古来の工法で再建を繰り返す
  • 1643年(皇紀2303)寛永21年
    現在の塔は5代目で、徳川家光の寄進により上棟される

<金堂(国宝)>

「仏に会える」

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東寺の本堂
南大門をくぐった正面に建つ

  • 796年(皇紀1456)延暦15年の創建といわれる
    東寺の創建で初めに建てられたのが「金堂」
  • 1486年(皇紀2146)文明18年
    創建時の金堂は焼失するが、礎石は、創建時のものが現存している
  • 1603年(皇紀2263)慶長8年
    現存の建物が、豊臣秀頼の寄進により、片桐且元を奉行として再建される

天竺様と和様を合わせた構造法を用いた豪華雄大な桃山時代の代表的な建築物
屋根の中央の切り上げは、東大寺大仏殿や平等院鳳凰堂にも見られる形
細部には、唐・和風の技術が巧みに取り入れれている

広大な空間の中に本尊の薬師如来三尊像が安置されている
薬師如来三尊像:本尊(薬師如来)、右側:日光菩薩、左側:月光菩薩

<講堂(重要文化財)>

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金堂の北側に建つ純和風建築様式の建物
東寺の創建された当時にはなかった

  • 835年(皇紀1495)承和2年
    東寺を下賜された空海が、東寺を真言密教の道場として位置づけ、最初に建立した中心伽藍
  • 1486年(皇紀2146)文明18年
    土一揆により焼失
  • 1491年(皇紀2151)延徳3年
    現存の講堂が、創建時の基壇の上に再建される
    空海により、大日如来を中心とした日本最古の本格的な21体の密教仏像で立体曼荼羅が表現されている

<食堂(じきどう)>
僧侶が集まり、食事修行(じきじしゅぎょう)が行われたお堂
空海没後、843年(皇紀1503)承和10年までに創建される
醍醐寺の開祖 理源大師 聖宝が彫った千手観音菩薩立像を本尊として祀られ、
足利尊氏が居住した

  • 1930年(皇紀2590)昭和5年の火災で焼失
    国宝だった本尊の千手観音菩薩立像も焼損し、1960年代に修理され、現在は寺内の宝物館に安置されている(重要文化財)
  • 1933年(皇紀2593)昭和8年
    現在の建物が再建され、十一面観音菩薩が本尊として祀られている
    洛陽三十三所観音巡礼第二十三番札所

<夜叉神堂>
東:雄夜叉(本地 文殊菩薩)  西:雌夜叉(本地 虚空蔵菩薩)
当初は、南大門の左右に安置されていたが、参拝者が拝まないで通ると、ただちに罰があたったといわれ、中門(現在の金堂前燈籠のあたり)の左右に移された

  • 1596年(皇紀2256)文禄5年/慶長元年
    中門が倒壊したときに、現在の小堂が建立され安置された
    夜叉神像は、空海の作といわれる
    歯痛治癒のご利益があるといわれる

<大師堂(国宝):御影堂>

  • 空海の住房跡とされる「西院」といわれる境内の西北部にある
    南北朝時代に建てられた住宅風の仏堂
    入母屋造の礼堂、切妻の中門、ゆるやかな勾配の総檜皮葺の屋根
    空海の念持仏の不動明王像(国宝)が安置され、「不動堂」とも称される
    「御影堂」とも称され、寝殿造の面影を伝える数少ない遺構
  • 1379年(皇紀2039)康暦元年
    火災による焼失 後、その翌年に再建される
  • 1390年(皇紀2050)明徳元年
    堂の北半分(前堂(まえどう)は、弘法大師坐像(国宝)を安置するために、礼堂と廊が増築される
    堂の南側(後堂(うしろどう)には、厳重な秘仏で非公開で、空海の念持仏とされる日本の不動明王像としては最古の不動明王坐像(国宝)が安置されている

<毘沙門堂>

  • 938年(皇紀1598)天慶元年  平将門の乱のときに、都の守護神として羅城門の楼上に兜跋毘沙門天立像(国宝)が安置される
  • 980年(皇紀1640)天元3年7月9日
    羅城門が暴風雨で倒壊したときに、東寺に運び込み食堂に安置されていた
  • 1822年(皇紀2482)文政5年
    現在の毘沙門堂が創建され祀られる
  • 1994年(皇紀2654)平成6年
    東寺創建千二百年記念事業により修復される

<三面大黒天>
大黒天・毘沙門天・弁財天の三体の天神が合体したもの
大黒天は、大地の神さまで、大地は糧を表し、土は槌で表され、それを振ると福寿円満が訪れるといわれる
毘沙門天は、四天王の北方の守護神で、財宝を司る神さま
弁財天は、インドでは河の神さまで、弁舌・音楽・技芸上達の神さま
三尊のご利益が一度に授かれるといわれる
空海の作といわれる

<大日堂>
空海の住房跡とされる「西院」といわれる境内の門をくぐって右にたつ

<宝蔵(重要文化財)>
 平安時代後期の建立で東寺最古の建造物
 校倉造(あぜくらつくり)の倉庫
 創建当時は、南北二棟存在し、宝物経巻が収納されていた
 1000年(皇紀1660)長保2年と、1126年(皇紀1786)大治元年に焼失し
 1198年(皇紀1858)建久9年
 文覚上人によって再建されたものともいわれるが、解体修理の結果、東寺の創建に近い頃の建立といわれる

<灌頂院(重要文化財)>
 江戸時代前期の建物
 北門・東門は、鎌倉前期の建物
 密教の奥義を師匠から弟子へ伝える儀式「伝法灌頂」や、
 正月の8日から14日までの間に天皇の安泰を祈願する儀式「後七日御修法(ごしちにちのみしほ)」などの儀式を行うための堂
 仏像は安置されていない

<小子房(しょうしぼう)>
金堂の西側にある
鎌倉時代に真言密教の修行道場として建てられた庵
南北朝時代、足利尊氏が光厳上皇を奉じて都入りしたときに、上皇の御所として用いられた

 総檜造
 内部は、鷲の間・牡丹の間・勅使の間など6部屋からなる
 堂本印象が43歳のときに描いた障壁画で飾られている
 鷲の間・瓜の間・枇杷の間・鷹の間・雛鶏の間などは水墨画が描かれている
 勅使の間には極彩色の「渓流に鶴」「日輪山嶽図」が描かれている
 庭園は、七代 小川治兵衛による作庭

 1934年(皇紀2594)昭和9年
 弘法大師 空海1100年御遠忌にあたり、京都府技師 安間立雄により再建される

 勅使門
 檜皮葺の唐門、東向きに建てられている
 扉には菊の紋章が透かし彫りされ、その周りも細かい透かし彫りで飾られている
 扉の柱には葡萄の唐草模様が彫られ、扉の下部にも唐草模様が施されている
 京都府技師 安間立雄の設計といわれる

<蓮華門(れんげもん)(国宝)>
 境内の西、灌頂院の北側に立つ
 三間一戸、八脚門(やつあしもん)、切妻造、本瓦葺、側面は二重虹梁蟇股
 鎌倉時代前期の遺構
 832年(皇紀1492)天長9年
 空海が59才のとき、高野山の金堂も完成し隠棲することになる
 蓮華門からの旅立ちのとき、西院に祀っていた不動明王が見送りにきて、不動明王の目から涙が流れ落ちたといわれ、
空海の足下や足跡には蓮の花が咲いたといわれ、「蓮華門」と称されるようになった

 <北総門(重要文化財)>
 鎌倉時代後期の遺構

 <北大門(重要文化財)>
 鎌倉時代前期の遺構

<東大門(重要文化財)>

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  • 1198年(皇紀1858)建久9年
    現在の建物が、文覚上人の大勧進によって再建される
  • 1336年(皇紀1996)延元元年/建武3年
    新田義貞が、東寺にいた足利尊氏を攻め、危機に陥った足利尊氏は、門を閉めて難を逃れたことから、現在も閉められており、「不開門(あかずのもん)」と称されている
  • 1605年(皇紀2265)慶長10年
    豊臣秀頼により大修理が行われている

<南大門(なんだいもん)(重要文化財)>

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東寺の伽藍の正面の門で、九条通に南面して立つ
三間一戸、八脚門、切妻造

  • 1895年(皇紀2555)明治28年
    当初のものは焼失し、平安遷都千百年紀念祭記念事業の一つとして、三十三間堂の西門が移築される
  • 1601年(皇紀2261)慶長6年に建造されたもの
     桃山時代の遺構

 <慶賀門(けいがもん)(重要文化財)>
 八脚門(やつあしもん)
 鎌倉時代前期の遺構
 <蓮池>
 慶賀門から入ってすぐ左の宝蔵の周りの四角く堀になっている池

 <瓢箪池>
 <経蔵跡>

<不二桜>

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八重紅しだれ桜:直径15mの円形花壇に立つ

2006年(皇紀2666)平成18年2月27日
岩手県盛岡市の旧家から28年前に三重県鈴鹿市の農園から移植され、16年前に宗祖 空海が唐から帰国して1200年となる節目を記念し、信徒総代の藤定輝好さんにより寄贈されました。
空海の「不二のおしえ:対立していて二元的に見える事柄も、絶対的な立場から見ると対立がなく一つのものであるということ」から、「不二桜」と命名された
樹齢約120年
エドヒガン系の園芸品種で、4月中旬頃、色の濃い八重咲きの華麗な花を咲かせる
高さ約13m、幹回り約1.5m、枝張りの幅約10m、移植できる桜では国内最大級の大きさ
JR東海「そうだ、京都移行こう。」2011年(皇紀2671)平成23年春のキャンペーンで、
「どういうわけだろう。今年は一本の桜とじっと向き合う春にしたかった。」と、不二桜が紹介された

不二の教え=密教の教え
「我に不二の法門を示したまえ」
「久米寺の東塔に大日経という経典があります」
というお告げがあり、「大日経」を感得(発見)したとされましたが、不明なことがあり中国へ渡ることになった

<八幡宮>
東寺の鎮守神である八幡大神の僧形八幡神坐像と女神坐像(じょしんざぞう)二躯の3体が安置されている
 檜材の一木造
 空海の作といわれる
 796年(皇紀1456)延暦15年
 平安京と東寺の守護のために創建される
 1868年(明治元年)に焼失
 1992年(皇紀2652)平成4年に再建される
 東寺に本陣をおく足利尊氏を新田義貞が攻め入ったとき、鎮守八幡宮の神殿から流鏑(かぶらや)が新田勢に向かって飛び、
足利尊氏が勝利した故事がある

<八島神社(八島殿)>

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 祭神は、東寺の地主神と、大己貴神
 東寺が創建される以前よりあり、東寺の寺門造立成就、方位安全、法道繁盛が祈願されたといわれる
 日本を「大八洲瑞穂国(おおやしまみずほのくに)」と称していたことから名付けられたといわれる

 <塔頭 観智院客殿(国宝)>
 慶長11年(1606年)の建立
 床の間には、宮本武蔵の「鷲の図」や、襖絵「竹林図」がある

【寺宝】

東寺は、密教美術の宝庫となっている

木造 兜跋毘沙門天立像(とばつびしゃもんてん)(国宝)

もと平安京の羅城門の楼上に安置されていた唐時代の像で宝物館に安置されている
都七福神めぐりの一つ
兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)は、西域の兜跋国に出現したといわれる
邪鬼を踏む姿ではなく、地天女像(じてんにょぞう)の両手の上に立つ
戦勝祈願や国家鎮護の守護神として、城門に安置される

中国 唐時代の彫像
鎖を編んで作った鎧「金鎖甲(きんさこう)」を着て、腕には「海老籠手(えびごて)」と称される防具を着け、筒状の宝冠を被る

<木造 弘法大師坐像(国宝)>

 大師堂(国宝)の北側に安置される
 鎌倉時代 1223年(皇紀1883)貞応2年 運慶の4男康勝の作
 この像は庶民の信仰を広く集めており、毎朝6時に「お大師様」に朝食を捧げる「生身供」(しょうじんく)が像の前で行われ、多くの参拝者が集まっている

<木造僧形八幡神坐像1躯(国宝)、女神坐像2躯(国宝)、附・武内宿禰坐像(国宝)>

 平安初期の日本の神像の最古作例の八幡三神像
 鎮守八幡宮に安置されている

<立体曼荼羅の21躰:15躰(国宝)5躰(重要文化財)>

 講堂の白亜の壇上に安置されている
 空海による、全体で密厳浄土の世界「曼荼羅」を立体的に表現されている
 安置されている21体の密教彫像のうち、15躰が国宝、5躰が重要文化財に指定されている
 中央の如来部は、大日如来を中心とした五智如来(重要文化財)
 中心に大日如来(285cm)、北東に阿?如来、北西に不空成就如来、南東に宝生如来、南西に阿弥陀如来が配置されている
 向かって右(東側)は、菩薩部で、木造 五大菩薩坐像の全て国宝
 中央に金剛波羅密菩薩、周囲に金剛菩薩、金剛宝菩薩、金剛法菩薩、金剛業菩薩の四菩薩が配置されている
 向かって左(西側)は、明王部で、いづれも憤怒の表情の木造彩色 五大明王像の全て国宝
 中央に不動明王、周囲に降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王が安置されている
 東西の端には、天部の2躰が座っておられる(いづれも国宝)
 東端に台座の上に座る梵天、西端に象の台座の上に座る帝釈天
 四隅は、天部の四天王立像が四方を守護しており、全て国宝
 東南に持国天、西南に増長天、北西に広目天、北東に多聞天

<木造不動明王坐像・天蓋(国宝)>

 大師堂(御影堂)の南側に安置されている
 空海の念持仏とされる
 日本の不動明王像としては最古の1つで、厳重な秘仏となっている

<薬師三尊像(重要文化財)>

 金堂に安置されている本尊の「薬師如来坐像(重要文化財)」を中心に、
 向かって右側に「日光菩薩(重要文化財)」、左側に「月光菩薩(重要文化財)」が安置される
 光背上には、七躰の化仏を配して、七仏薬師を表す  本尊の台座の周りには「十二神将像(重要文化財)」が配置されている
 1603年(皇紀2263)慶長8年
 これらは、大仏師 康正の作といわれ、密教的な薬師信仰の形式
 中尊の像は、高2.9mに達する巨像で、日本の仏教彫刻衰退期である桃山時代における佳作といわれる

<両界曼荼羅図(伝・真言院曼荼羅)(国宝)>

 「西院曼荼羅」とも称され、日本に伝わる両界曼荼羅のうち最も著名である
 平安時代初期の作品で、鮮烈な色彩とインド風の濃い諸仏の官能的な肢体が特色

<真言七祖像(絵画)(国宝)>

 唐の画家 李真(りしん)が、真言宗の祖師7人の肖像画を描いたもの
 7幅のうち5幅は空海が中国 唐から真言宗の秘法とともに持ち帰ったもの
 唐時代絵画の数少ない貴重な遺品

<五大尊像(仏画)(国宝)>

 平安時代後期の作品で、後七日御修法のときに道場に掛けられた仏画

<金剛界四如来仏>

 五重塔の初層に中央の心柱を大日如来にみたてて、四方に如来が置かれている
 東:阿しゅく如来坐像 64.8cm   西:阿弥陀如来坐像 65.1cm
 南:宝生如来坐像 62.8cm   北:不空成就如来坐像 64.8cm
 毎年正月三が日だけ公開されている

<十二天屏風(国宝)>

 鎌倉時代の作品で、十二天が屏風の一扇ごとに描かれている

 <密教法具(国宝)>
 空海の請来品で唐時代制作の仏具一式

 <建陀穀子袈裟・横被(けんだこくしけさ・おうひ)(国宝)>
 弘法大師 空海が、唐の恵果阿闍梨から授けられた請来品
 唐時代の染織工芸品

 <海賦蒔絵袈裟箱(かいふまきえけさばこ)(国宝)>
 平安初期の漆工芸品(蒔絵)  弘法大師 空海が、唐の恵果阿闍梨から授けられた建陀穀子袈裟(国宝)を収納するためのもの
 「海賦(かいふ)」という大海原が表現され、波間に魚や亀、水鳥が見え隠れする
 大波を越えて、命がけで入唐求法(にゅうとうぐほう)の旅をした弘法大師の苦労を表すかのよう

 <漆皮箱(しっぴばこ)(重要文化財)>
 厚手の皮を漆で塗り固めた箱
 弘法大師の請来品が収められていたといわれる

 <紫檀塗螺鈿金銅荘舎利輦(したんぬりらでんこんどうそうしゃりれん)(国宝)>
 舎利会(しゃりえ)(仏陀の遺骨をたたえる年中行事)で用いるもので、神社の神輿に似ている
 黒漆塗に朱漆で木目を描き「紫檀塗」、貝殻を用いた装飾「螺鈿」と銅に金メッキしたもの「金銅」で飾ったもの

 <弘法大師筆尺牘(こうぼうだいしひつせきとく)(国宝)>
 「尺牘」とは、漢文体の手紙のことをいう
 空海の自筆の3通の手紙を巻物に仕立てたもので、日本書道史上きわめて貴重なもの
 1通目の最澄あての手紙の冒頭の「風信雲書」という句にちなんで、通称「風信帖」と称される

 <弘法大師請来目録(国宝)>
 最澄の筆で、空海が唐から持ち帰った品の目録

 <後宇多天皇宸翰東寺興隆条々事書御添状(ごうだてんのうしんかんとうじこうりゅうじょうじょうことがきおんそえじょう)(国宝)>
 弘法大師に帰依した後宇多天皇が、出家の翌年に東寺の発展を願って書き記したもの
 「宸翰」とは「天皇の自筆」であることを表す

 <東宝記(国宝)>
 南北朝から室町時代に書かれた東寺の公式記録書
 <桧扇>
 食堂(じきどう)の本尊だった千手観音菩薩の腕の中から発見された桧扇が、「元慶元年」と記されており、最古の扇子とされる

 <東寺百合文書(国宝)>
 東寺に伝来する約2万点におよぶ古文書群
 京都府立総合資料館に所蔵されている

【祭事】

 <弘法さん>
 毎月21日
 空海の命日である3月21日に供養を行う御影供(みえく)が由来
 朝5時頃から夕方4時頃まで、約1200店ほどの露店が出店される
 門前では名物菓子の「どら焼」がこの日のみ販売される

 <後七日御修法>
 1月8日から14日
 勅使から天皇の御衣を納めた唐櫃を奉載し、国家安泰や世界平和を祈願する

 <初弘法>  1月21日
 <終い弘法> 12月21日
 <骨董市> 毎月第一日曜日

【御詠歌】

 「らくようや たつねめぐりて まいるらん たれにとうじの うちのかんのん」

【真言宗のお経】

「南無」は「私は帰依する」を意味しており、「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」の7文字で「弘法大師空海に帰依する」の意味になります。
「遍照金剛」は空海の灌頂名(かんじょうめい)であり、大日如来の別名でもあります。

「南無阿弥陀仏」は主に浄土真宗を中心とする宗派で唱えられるお経(六字名号)です。
「南無」はサンスクリット語でnamas、つまりお辞儀や礼拝を意味する言葉であり、転じて帰依するといった意味を持っています。
「阿弥陀仏」はアミターバ(無量の光明)、アミターユス(無量の寿命)を意味し、すなわち「南無阿弥陀仏」は「計り知れぬ光明(寿命)の阿弥陀仏に帰依いたします」といった意味になります。

浄土真宗ではまず本格的に経文を唱え始める前に、これから阿弥陀仏に帰依いたしますといった意味で「南無阿弥陀仏」と唱えます。
これが真言宗であれば「南無大師遍照金剛」、つまり弘法大師様へ帰依いたしますといった経文に変わります。
ただし、真言宗であっても「南無阿弥陀仏」と唱えてはならないわけではありません。
密教系の宗派では最高位の仏を大日如来としていますが、仏にも色々あり、祈る内容によっては「南無阿弥陀仏」と唱えることもあります。
よって真言宗であっても「南無阿弥陀仏」と唱えて何の問題もないのです。
大切なのは神仏に帰依する、神仏の教えを素直に受け入れようという気持ちであり、その心を宣言する経文に大きな違いはありません。 無論宗派に沿っている方が望ましいですが、一番重要なのは祈りの心なのです。

帰依(きえ):優れたものに帰投し、伏依すること。また帰命(きみょう)ともいい、自己の身心を捧(ささ)げて信順すること。絶対の信をもってよりどころとすること。
 信仰と同意で、仏・法・僧の三宝に帰依することを三帰依(さんきえ)といい、これは仏教徒の信仰を示すもっとも基本的なものとなっている。
 浄土真宗では帰依の「帰」を帰投と解して、阿弥陀仏(あみだぶつ)の願力に帰投し依憑(えひょう)することであるとし、これが信心にほかならないとしている。

【その他】

 <景観保護>
 本願寺・東寺美観地区
 本願寺・東寺界わい景観整備地区

 <どら焼>
 弘法大師ゆかりのお菓子として、毎月ご命日の弘法市の前後3日間(20・21・22日)のみ限定で販売される京菓子

 <五重塔の高さ>
 京都市市街地は南北でかなりの高低差があり、鴨川上流の北山通と、下流域の東寺五重塔とほぼ同じ高さとなる

 <JR東海「そうだ、京都移行こう。」>
 2011年(皇紀2671)平成23年春のキャンペーン
 「どういうわけだろう。今年は一本の桜とじっと向き合う春にしたかった。」と、不二桜が紹介された

【アクセス】

 市バス 東寺東門前、あるいは、東寺西門前 下車すぐ
 京都駅 八条口 徒歩約5分
 近鉄電車 東寺 徒歩約5分