清水寺/P

観光時間:お土産を含むと90~120分
清水寺(きよみずでら)
清水寺(きよみずでら)は、東山の音羽山の崖っぷちに立つ「清水の舞台」で著名な寺院
境内には、約1000本の桜の名所と紅葉も1000本超の名所でもある
清水寺:目次
青色文字をクリックで詳細へジャンプ
基本情報
所在地:京都市東山区清水一丁目 清水寺HP清水寺見所関連HP
北法相宗(きたほつそうしゅう)総本山 (過去は、法相宗)
山号:音羽山(おとわさん)
本尊:十一面千手千眼観世音菩薩
創建:坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)
開山:延鎮上人(えんちんしょうにん)
中興の祖:大僧正 大西良慶和上
世界遺産(古都京都の文化財)の一つ
西国三十三所観音霊場 第16番札所(千手観音菩薩)
洛陽三十三所観音巡礼第十番札所(善光寺堂)(如意輪観音菩薩) 第十四番札所へ
第十一番札所(奥の院)(三面千手千眼観音菩薩)
第十二番札所(本堂)(十一面千手千眼観音菩薩)
第十三番札所(朝倉堂)(十一面千手千眼観音菩薩)
第十四番札所(泰産寺)(十一面千手千眼観音菩薩)
清水の観音さん(十一面千手観世音菩薩)
- 十一の表情と四十二の手で大きな慈悲(楽を与えることを慈,苦を取り去ること)をあらわし、人々を苦難から救うといわれている
- 観音さまの別名は「あらゆる方角に顔を向けた者」
- そのお姿を三十三身に変えて救いの手を差し伸べるといわれています。
観音さまはその姿を自在に変化させることで一切衆生を災厄から救うとされ、その数が三十三身なのです - 清水寺でお参りしたお姿だけが観音さまではなく、道ですれ違ったその人が、私たちに正しい生き方を伝えようと姿を変えて出現された観音さまかもしれません。
- 観音さまは私たちの日常の中におられるのです。
- 「観音」という言葉には、「私とあなた」という意味があります。
- 観音さまは、他人の苦しみや喜びを理解し、世の中を平等な心で観ることが、人間の理想のあり方だと教えてくださっています。
※観:かん(主観、自分自身の心、目には見えないもの)音:のん(客観、周囲や他人、世の中のすべて)
清水寺HPより抜粋
【経緯】
「今昔物語集」「扶桑略記」などに、さまざまな清水寺草創伝承が記されている
奈良時代後期
- 778年(皇紀1438)宝亀9年
大和国子島寺(奈良県高市郡高取町)の僧 延鎮上人(えんちんしょうにん)が、夢のお告げで霊泉を訪ね、音羽山に辿り着く
音羽山には、数百年も修行を続けていたといわれる修行者(観音菩薩の化身)の行叡居士(ぎょうえいこじ)がいて、行叡居士は、延鎮上人に後を任して東国へ旅立っていったといわれ、延鎮上人が、残された霊木に観音菩薩像を刻み、草庵に安置したのが由来といわれる - 780年(皇紀1440)宝亀11年
坂上田村麻呂が、妻 高子の病気平癒の薬になる鹿の生き血を求めて鹿狩りをしていると、修行中の延鎮上人に出会い、殺生を戒められた
坂上田村麻呂と高子は、千手観音菩薩を造り、それを祀るために自邸を本堂として寄進したといわれる
征夷大将軍となった坂上田村麻呂は、その観音菩薩の加護の御利益を得て、無事に東国蝦夷を平定し、都に帰ることができたといわれる
【伽藍】
東大路通から清水寺までの約1kmの坂道は、「清水坂」と称され、道の両側には観光客向けのみやげ物店などが軒を連ねている
境内は、標高242mの音羽山中腹に石垣を築いて整地されており、多くの建物が軒を接するように建ち並んでいる
入口の仁王門(重要文化財)から、西門(重要文化財)、三重塔(重要文化財)、鐘楼(重要文化財)、経堂(重要文化財)、田村堂(開山堂)(重要文化財)、朝倉堂(重要文化財)などを経て本堂(重要文化財)に至る
<本堂(国宝)>
正面約36m、側面約30m、棟高約18m
崖の上にせり出た檜板張り(ひのきいたばり)の舞台があり、「清水の舞台」として著名
「懸造(かけづくり)」、あるいは「舞台造」と称される構造
錦雲渓の急崖への張り出しの舞台は、約190m2、高さ約12mの欅の柱(けやきのはしら)139本で支えられている
舞台の両袖の翼廊は、楽舎になっている
観音菩薩が補陀洛山(ふだらくさん)に現われるという「観音経」に基づいた造りといわれる
屋根は起反曲線(むくりそりきょくせん)がついた寄棟造、檜皮葺、軒下に蔀戸があり、 正面(南面)左右に入母屋造の翼廊が突き出し、平安時代の宮殿・貴族の邸宅の面影を残す
堂内は、巨大な丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣、内々陣の3つに分かれる
一番奥の内々陣の大須弥壇上の3基の厨子内に、秘仏本尊の十一面千手観音菩薩立像と、脇侍の地蔵菩薩・毘沙門天が安置されている
- 1633年(皇紀2293)寛永10年
徳川家光の寄進によりに再建される
洛陽三十三所観音巡礼第十二番札所(十一面千手千眼観音菩薩)
本堂の先、境内の東側には、北から釈迦堂(重要文化財)、阿弥陀堂(重要文化財)、奥の院(重要文化財)が崖に面して建つ
清水寺の舞台が造られた理由
- 清水寺の本堂は山の斜面を切り崩して建立したが、山を切り崩しての労力は大変だった為
わざわざ山を切り崩さなくても舞台を造れば、労力も時間も節約できる - 清水寺の建立場所(音羽山)は神聖な場所の為、簡単に削ることができなかった
- 805年に天皇の御願寺になり、参拝者が増加。その為に「舞台」を造った
<三重塔(重要文化財)>
三間四方、高さ約29.7mで日本最大級
一重内陣の中央に大日如来像が安置され、四周の壁に真言八祖像が描かれている
柱には雲天龍、天井などには飛天や華型幾何模様が極彩色描かれている
一重では、軒下の丸桁の両端に「摩竭魚(まかつぎょ)」、中央は「金剛盤に宝珠(ほうじゅ)」
中段の台輪の両端は「出八双卍崩円竜(ではつそうまんじくずし)」、中帯は「向い蝶」
下の長押の両端は「入八双若芽唐草」、中帯は「四弁花羯繋」の文様
- 847年(皇紀1507)承和14年
本尊 観音菩薩のご利益により、嵯峨天皇の皇子が誕生したことで、葛井親王(かどいしんのう)が、勅命を受けて創建されたといわれる - 1632年(皇紀2292)寛永9年
現在の塔が、古様式に則って再建される - 1987年(皇紀2647)昭和62年
解体修理され、総丹塗り、桃山様式の各重の横木の極彩色文様が復元される
現在、京都市にある重要文化財の三重塔は、清水寺、金戒光明寺、子安塔(こやすのとう)の三塔のみである
<仁王門(におうもん)(重要文化財)>
清水坂を上がって西に向いて立っている正面の楼門
丹塗りで「赤門」とも称される
三間一戸、入母屋造、桧皮葺、正面約10m、側面約4.8m、軒高8.5m
両脇間には、勇壮な大仁王像が安置されている
<西門(さいもん)(重要文化財)>
仁王門の横の急な石段の上に西面して建つ
勅使門としても使われていた
絶好の洛中展望台とされ、西山に沈む夕日を西方極楽浄土と観想する日想観拝所でもあった
<田村堂(開山堂)(重要文化財)>
清水寺を創建した坂上田村麻呂夫妻の像が、堂内中央の須弥壇上の厨子に安置されている
清水寺元祖の行叡居士(ぎょうえいこじ)と、開山 延鎮上人も祀られている
<音羽の滝>
本堂東側の石段を下りた先には寺名の由来でもある名水が、3本の筧(かけい)から流れ落ちている清水
「黄金水」「延命水」とも称される「清めの水」
清水寺元祖の行叡居士(ぎょうえいこじ)と、開山 延鎮上人(えんちんしょうにん)が、滝による観音行を修練したといわれる
滝祠には、不動明王や行叡居士が祀られている
<奥の院(重要文化財)>
本堂が見渡せる音羽の滝の真上に立ち、本堂と同じ舞台造
清水寺元祖の行叡居士(ぎょうえいこじ)と、開山 延鎮上人(えんちんしょうにん)が、音羽の滝で観音行を修練し止住したところで、平安時代中期に創建された草庵の旧跡
本尊の千手観音菩薩、脇侍に毘沙門天と地蔵菩薩、眷属の二十八部衆、風神・雷神の諸仏が安置されている
「奥の千手堂」とも称される
<濡れ手観音(ぬれてかんのん)>
奥の院の裏側、石の玉垣にかこまれた小池中に立つ
台座に「観世水」と記されている
北隣の蓮華水盤で柄杓に水をくみ肩からかけて、身の祓い清め、諸願成就が祈願される
<基準点標石>
仁王門の後ろにある、測量の基準点
基準点標石・保護蓋石・表示柱石の3つの石組みよりなる
地下に埋設されている基準点標石の上端に刻まれている対角線の中心が基準点となる
その上に、保護蓋石と表示柱石が乗せられている
【塔頭】
<成就院>
境内の北方にある清水寺の旧本坊
東福院の寄進により再興される
月の庭(国の名勝)
<慈心院>
随求堂(ずいぐどう)
信仰者のあらゆる求めに随(したが)い、御利益をくださる万能の菩薩が祀られている
<善光寺堂>
洛陽三十三所観音巡礼第十番札所
如意輪観音菩薩が安置されている
【寺宝】
<十一面四十二臂千手千眼観世音菩薩>
本堂の秘仏の本尊
西国三十三所観音霊場 第16番札所
洛陽三十三所観音巡礼第十二番札所
脇侍に毘沙門天、地蔵菩薩をそれぞれ安置する3基の厨子が置かれている
本堂の最奥の内々陣の厨子(国宝)に本尊が祀られ、周囲には、千手観音菩薩の眷属(けんぞく)※1である二十八部衆と風神・雷神像が安置される
一般の四十二臂千手観音菩薩像とは異なり「清水寺形千手観音」と称され、42本の手のうち、最上の左右の2本の手を頭上に上げて組み合せ、小さな釈迦如来を戴(いただ)く特殊な形の像
33年に1度だけ開扉される秘仏
2000年(皇紀2660)平成12年3月3日から同年12月3日まで開扉されていた
※1.眷属(けんぞく)とは、仏や菩薩(ぼさつ)の眷属は、薬師仏(やくしぶつ)における十二神将、不動明王(みょうおう)の八大童子、普賢(ふげん)菩薩の十羅刹女(じゅうらせつにょ)、千手観音(せんじゅかんのん)の二十八部衆などの脇侍(きょうじ)についていうほか、弟子や従者、広く仏の法を受ける者すべてをさす。また狭義には親族、身内の意で用いられる
<木造 十一面観音立像(重要文化財)>
本堂の秘仏の本尊が納められている厨子前に安置されている御前立(おまえだち)
本尊を写した姿をしている
普段は、外陣の礼堂からこの像が拝観されている
<木造 三面千手千眼観音菩薩坐像(重要文化財)>
奥の院の秘仏の本尊
洛陽三十三所観音巡礼第十一番札所
像高63.9cm
観音補陀落浄土の大教主の威容を示す正面・右・左の3つの顔をもち、頭上に24の小面を乗せた特異な形の像
本面と左右脇面は、額に縦の眼があり三眼
膝前で組み合わせる宝鉢手は、親指と人差し指で輪をつくる阿弥陀如来と同じ印相である
光背に観音菩薩の三十三応現身を表している
脇侍に毘沙門天と地蔵菩薩、眷属の二十八部衆、風神・雷神の諸仏が安置される
鎌倉時代初期の作で、大仏師 運慶・快慶ら慶派の作といわれる
2003年(皇紀2663)平成15年
3月7日から12月7日まで、243年ぶりにご開帳されていた
<漢字の日>
毎年12月12日
日本漢字能力検定協会主催で「今年の漢字」が選ばれ、清水寺で発表される
【清水寺の七不思議】
清水寺には、霊験あらたかな聖地として厚く信仰されてきており、七不思議以外にも、多くの不思議が語り伝えられてきている
<二体の阿形の狛犬>
仁王門の前の狛犬
通常は、口を開いた阿形(あぎょう)と、口を閉じた吽形(うんぎょう)の阿吽が対になった狛犬がおかれるが、二体とも口を開いた阿形の狛犬がおかれている
阿吽(あうん)とは、人間の生まれた瞬間と死ぬ瞬間の姿で、万物の初めと終わりを表しているといわれる
<仁王門のカンカン貫(ぬき)>
清水坂を上がって正面の「赤門」と称される仁王門(重要文化財)
腰貫の端に爪で引掻いてできたようなくぼみがあり、そこを叩くと、斜め向かいの貫頭に、その音が伝わる
<岸駒の虎>
仁王門(重要文化財)の右下にある灯籠に刻まれている虎の絵
江戸時代後期の有栖川家に仕えた画家 岸駒が寄進したもの
「八方にらみの虎」と称される「虎の図」
どの角度から見ても睨みつけられたように目が合う
<馬駐(うまとどめ)の金具>
清水坂を上がって正面の「赤門」と称される仁王門(重要文化財)
貴族や武士が馬をここにつないで、徒歩で諸堂へ参拝するための、五頭の馬をつなぐことができる馬駐
一ヶ所だけ逆の下向きに付いている
<龍の鬼瓦>
三重塔(重要文化財)の東南角の屋根瓦
通常、屋根瓦の角には、厄を払う鬼瓦がおかれるが、一ヶ所だけ、水の神であり火を防ぐ守護神である、龍の瓦になっている
<六本脚の鐘楼>
切妻瓦葺きの鐘楼
通常は4本脚だが、丸柱が6本もあり、珍しいといわれる
<轟門(とどろきもん)(重要文化財)>
本堂の西にある八脚門
この門には扉がない
また、水がないのに橋が架かっている
かつては、八坂の塔、三年坂を越えて轟川という川が流れていたといわれる
この橋は清水寺の口をかたどっており、橋の板張り部分が舌、両側の石板が歯を表した歯形の橋
歯痛の人は渡ってはいけないといわれる
<梟の手水鉢(ふくろうのちょうずばち)>
轟橋の横にある、龍が水を出している手水鉢(ちょうずばち)
台座にフクロウが刻まれている
この梟の手水鉢の水で口をすすぐと、歯痛・頭痛が治るといわれる
<弁慶の指跡>
本堂の裏側の長押の貫の木の目に沿って、深さ2cmほどの溝が付いている
弁慶が人差し指で刻んだものといわれる
本堂(国宝)は江戸時代初期に再建されたもので、弁慶の時代とは合わない
お千度参りの参拝者が、お堂を廻ったときに、手にしていた数取り串(竹串状の札)の跡といわれる
<平景清の足形石>
朝倉堂の東側にある(元は地主神社の本殿前にあった)
通常は、仏足石が平に置かれるが、平家の武将 平景清の足形が、立てておかれている
足形の大きさは、一尺七寸(約50cm)ある
<景清爪彫りの観音>
胎内めぐりの随求堂の手前にある石灯籠
灯籠の内部の火袋内に線彫りの小さな観音菩薩が刻まれている
平家の武将 平景清が、牢獄に入れられているときに、爪で石の上に観音菩薩を彫り、清水に奉納したものといわれる
<音羽の滝>
霊水が3つの筧(かけい)を通って流れ出ている
古来より、清水寺では、滝に打たれて水垢離修行されてきた
「金色水」「延命水」とも称され、心身を清めるもの
三筋の流れは、江戸時代には、左が「慈悲」、中が「利(得)」、右が「知恵」を表すとして観世音菩薩を意味していた
現在では、左が「学問上達」、中が「健康・長寿」、右が「良縁成就」のご利益がある霊水とされている
<弁慶の鉄の下駄と錫杖>
弁慶が使っていたといわれる巨大な鉄製の下駄と、大錫杖、小錫杖
鉄下駄は、一足が12kg、大錫杖は長さ2.6m、重さ96kg、小錫杖は長さ1.8m、重さ17kg
これらを持ち上げるとご利益があるといわれる
牛若丸と弁慶が戦ったのは、五条大橋ではなくこの清水の舞台で、弁慶は、この鉄下駄を履いていたため牛若丸(源義経)に負けたともいわれる
<首振り地蔵>
地蔵院善光寺堂の前に安置されているお地蔵さん
首が360度一回転する
逢いたい人の方へ首をまわして祈願すると、願いが叶うといわれる
首を一回転させてから祈願すると叶うともいわれ、回らない人は体の調子が悪いといわれる
<地主神社の八方にらみの竜>
地主神社の拝殿(重要文化財)の鏡天井に描かれている丸竜
狩野元信の筆
この竜は、夜ごと天井を抜け出して、音羽の滝の水を飲むために、目に釘を打ちつけたといわれる
どの方角から眺めても自分の方をにらんでいるように見える「八方にらみの竜」と称される
<清水の舞台>
思い切って物事を決断することを「清水の舞台から飛び降りる」という俗諺がある
江戸時代には、実際に飛び降りた人が数百人いるといわれる