
祇園祭(ぎおんまつり)
祇園祭は、日本各地の祇園社と呼ばれる神社に対して行われる祭り
京都の祇園祭は、八坂神社と綾戸国中神社とが合同で行われる
平安時代初期に疫病が流行したとき、祇園社の祭神 素戔嗚尊の崇りとされて、その疫病退散を祈願したのを起源とする
1100年以上も続く歴史のある祭り
7月1日から31日まで1ヶ月間にわたり多くの祭事・行事が行われる
特に、山鉾巡行・宵山・神幸祭・還幸祭・花傘巡行がメインの祭事・行事となる
祇園祭:目次
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祇園祭_祭事予定
更新:2020/7/01
祇園祭_山鉾
更新:2020/7/01
祇園祭_山鉾巡行
更新:2020/7/01
基本情報
期間:7月1日~31日
場所:八坂神社、各山鉾町、市内巡行
日本三大祭り(祇園祭、東京 神田祭、大阪 天神祭)の一つ
京都三大祭り(祇園祭、葵祭、時代祭)の一つ
別称:祗園御霊会(ぎおんごりょうえ)、祗園会(ぎおんえ)
重要有形民俗文化財(山鉾29基)
重要無形民族文化財(「京都祇園祭の山鉾行事」)
国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産(「京都祇園祭の山鉾行事」)
【経緯】
平安時代初期
- 863年(皇紀1523)貞観5年5月20日
疫病の流行により、清和天皇により神泉苑で初めて御霊会(ごりょうえ)が行われ、早良親王・井上内親王ら祭神6座が祀られる - 869年(皇紀1529)貞観11年
京都を中心に全国的に疫病が蔓延し「牛頭天王(ごずてんのう)の祟り」と噂される
祗園社司(ぎおんしゃし)卜部日良麻呂(うらべひらまろ)が勅を奉じて御霊会が行われ、
6月7日
当時の国の数、66ヶ国に準じて、長さ2丈の鉾が66本立てられた
6月14日
男児や、農民が神輿3基を担いで神泉苑に出向き、疫病退散の神事が行われ、神泉苑の池水で清められる
貞観年間(859年~877年)には、2度の御霊会が行われたといわれる - 876年(皇紀1536)貞観18年
牛頭天王は、荒ぶる神 素戔嗚尊と習合し、八坂の地に祭神として祀られるようになる - 970年(皇紀1630)天禄元年
疫病が流行したときだけ行われていた祗園会が、毎年行われるようになる - 1171年(皇紀1831)承安元年
後白河上皇が、神輿三基と獅子7頭を奉納する - 1225年(皇紀1885)元仁2年
祗園社に長刀が寄進され、長刀鉾の由来となる
室町時代
四条室町を中心として町衆の自治組織両側町が成立し、町ごとに創意風情を持った山鉾を作って巡行させるようになる
- 1467年(皇紀2127)応仁元年
応仁の乱により祇園祭が中止となる - 1500年(皇紀2160)明応9年
祇園祭が33年ぶりに復興し、山鉾が先祭に26基、後祭に10基が出て、くじ取りも行われた - 1533年(皇紀2193)天文2年
法華一揆により、祇園祭の神事が中止になり、山鉾巡行のみが行われる
安土桃山時代から江戸時代にかけて
貿易が盛んになり、舶来のタペストリや、西陣織、綴織などが競って山鉾の飾りに用いられるようになる
- 1591年(皇紀2251)天正19年
豊臣秀吉が、京中の地子銭を免除し、祇園祭に地之口米の制度が定められる - 1708年(皇紀2368)宝永5年
大火により、橋弁慶山など多くの山鉾が類焼する - 1788年(皇紀2448)天明8年
天明の大火により、函谷鉾・菊水鉾・凱旋船鉾など多くの山鉾が類焼する - 1864年(皇紀2524)元治元年
蛤御門の変(禁門の変)による大火で、山鉾町一帯が類焼する - 1865年(皇紀2525)慶応元年の前祭に山鉾巡行はなかった
- 1872年(皇紀2532)明治5年
祇園祭を支えてきた神輿轅町・神人・駕輿丁・地之口米などの制度が廃止される - 1877年(皇紀2537)明治10年
新暦の採用により、祭日が7月17日と24日に改められる - 1943年(皇紀2603)昭和18年
世界大戦のために、山鉾巡行が中止される - 1947年(皇紀2607)昭和22年
神幸祭・還幸祭が復興する - 1952年(皇紀2612)昭和27年
山鉾29基が巡行する
お迎え提灯も80数年ぶりに復興する - 1953年(皇紀2613)昭和28年
戦後初めてくじ取り式が京都市会議場で行われる - 1956年(皇紀2616)昭和31年
山鉾巡行コースが変更される - 1961年(皇紀2621)昭和36年
山鉾巡行コースが変更される - 1962年(皇紀2622)昭和37年5月23日
山鉾29基が、重要有形民族文化財に指定される
同年 阪急電車の地下化工事のため、山鉾巡行のみ中止される - 1966年(皇紀2626)昭和41年
それまで山鉾巡行が、17日の前祭(さきのまつり)と24日の後祭(あとのまつり)の2度行われていたのが17日の巡行に統合され、24日には、花傘巡行が行われるようになる - 1979年(皇紀2639)昭和54年2月3日
「京都祇園祭の山鉾行事」が、重要無形民族文化財の指定を受ける - 1988年(皇紀2648)昭和63年
四条傘鉾が山鉾巡行に復興する - 2009年(皇紀2669)平成21年9月30日
国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産に登録される - 2014年(皇紀2674)平成26年
17日の前祭と、24日の後祭が、49年ぶりに復活する
大船鉾が150年ぶりに山鉾巡行に復活する
【主な祭事】
祇園祭の祭事は、7月1日から始まり、7月31日まで、いろいろな行事や祭儀が行われる
【鉾と山】
現在は、鉾8基、山23基、傘鉾2基の、合わせて33基の山鉾が建てられる
そのち29基は、重要有形民俗文化財に指定(1962年(皇紀2622)昭和37年5月)されている
<山鉾巡行順>
【祗園囃子】
祗園囃子は、鉾の上で奏でられる「コンチキチン」の囃子
室町時代末期
能楽の影響のもとに成立する
江戸時代
現在のような囃子に洗練されたといわれる
囃子に用いる楽器は、鉦・太鼓・笛に限られる
鉦方は、少年の時から稽古を始め、成人になって太鼓方または笛方となる
曲目は、各山鉾で30曲近くあり、一部共通のものもあるが、ほとんどが各山鉾の独自の囃子
【その他】
- <鱧祭(はもまつり)>
祇園祭の期間が、鱧(はも)が一番美味しいといわれる
祇園祭は、「鱧祭」とも称され、おつくり、焼物、酢の物、吸物、寿司と全て鱧づくしで食べる - <鯖寿司>
鯖寿司は、祇園祭の祭料理でもある - <祇園祭とキュウリ>
八坂神社の神紋と、キュウリを輪切りにした切り口の模様が似ていることから、八坂神社の祭礼である祇園祭の間は、恐れ多くもったいないこととされてキュウリを口にしない風習がある
キュウリの一番美味しい7月の時期にあえて食べず、祇園祭が無事に終わることを切に願ってのことといわれる - <屏風祭>
山鉾町の町家では、表の格子を外して、秘蔵している屏風や美術品、調度品などを飾り、通りから鑑賞してもらえるようにしている - <稚児餅>
7月13日に長刀鉾の稚児が位を頂く「稚児社参の儀」で供えられるお菓子 - <岩田帯>
祇園祭の巡行後に、船鉾町で神功皇后の像に巻かれた帯が授与される - <祇園祭の粽(ちまき)>
厄除けのお守りとされる「蘇民将来之子孫也」と護符の付いた「ちまき」が、祇園祭の宵山の日だけ授けられ一年間、玄関先に飾られる
上賀茂の農家において、藁(わら)を軸にして、クマザサの葉をい草で三角形に巻き、それを10本ずつ束にして木型で形を整えられる ※約3万本が作られるといわれる
飾り粽で、食べられない - <蘇民将来の故事>
「備後国風土記」逸文によると八坂神社の祭神 素戔嗚尊(スサノオノミコト)が南海に赴く途中に日が暮れて宿を探していたとき、貧しい兄の蘇民将来と裕福な弟の巨旦将来がいて、巨旦将来は宿泊を拒み、蘇民将来は粗末ながらも、ひえの食事とわらの布団でもてなした。
素戔嗚尊は、その礼として蘇民将来の子孫を疫病から守ることを約束され、腰に茅の輪をつけさせたといわれる
- <寄町制度(よりまちせいど)>
鉾町(ほこちょう)周辺の町々が、特定の山鉾の寄町となって、山鉾の経費を援助する制度
明治維新まで続いていた - <後の祭り>
祇園祭は、7月1日から31日まで多くの行事が行われるが、一大イベントである山鉾巡行が終わってしまえば、その後には大きな行事がないことから「後の祭り」と言われはじめたといわれる
あるいは、以前は山鉾巡行が17日の「前祭」と24日の「後祭」の2回行われており、
「豪華絢爛な鉾を見にいったつもりが、山しか巡行しない後祭だった」ということから言われはじめたともいわれる
重要有形民俗文化財(山鉾29基)
重要無形民族文化財(「京都祇園祭の山鉾行事」)
【くじ取らず】
古例により山鉾巡行の順番が決まっており、くじを引かない9基の山鉾のこと
先祭:長刀鉾・函谷鉾・放下鉾・岩戸山・船鉾
後祭:橋弁慶山・北観音山・南観音山・大船鉾


