長勢(ちょうせい)
基本情報
平安時代後期の仏師
生年:1010年(皇紀1670)寛弘7年
没年:1091年(皇紀1751)寛治5年11月9日
享年:82
定朝の弟子
円勢の父または師
円派の祖
法印
長勢(ちょうせい)は、平安時代後期の仏師
定朝の直弟子で、定朝が作り上げた和様化を発展させた
仏師で初めて最高位の法印に叙せられた
円勢の父親あるいは師といわれ、円派の祖とされる
【経緯】
平安時代後期
1058年(皇紀1718)天喜6年
2月に焼失した法成寺復興事業に参加する
1064年(皇紀1724)康平7年
法成寺復興造営中、広隆寺の日光菩薩、月光菩薩、十二神将像を作成する
1065年(皇紀1725)治暦元年
法成寺の造仏の功績で、定朝の子 覚助よりも先に、仏師で初めて法橋に叙される
1070年(皇紀1730)延久2年
円宗寺金堂の二丈の毘盧舎那如来と薬師如来、丈六の一字金輪、梵天、帝釈天、四天王、合計9体を造って法眼となる
講堂は、覚助が担当し、ともに法眼に叙される
1075年(皇紀1735)承保2年6月
白河天皇発願になる法勝寺の造営に携わる
阿弥陀堂の丈六の阿弥陀如来像9体、一丈の脇侍の観音菩薩・勢至菩薩2体、六尺の四天王像を造る
1077年(皇紀1737)承暦元年12月
法勝寺講堂および阿弥陀堂の諸像制作の功績で最高位の法印に叙される
1083年(皇紀1743)永保3年
法勝寺の塔・薬師堂・八角堂に安置する造仏を行い
1085年(皇紀1745)応徳2年
常行堂に9体の阿弥陀如来像を造る
1091年(皇紀1751)寛治5年11月9日
82歳で死去する
【作品】
広隆寺に、現存する長勢唯一の遺作として極めて重要な作品が残る
1064年(皇紀1724)康平7年
藤原資長の発願により、広隆寺の本尊 霊験薬師の脇侍として、長勢がその一門を率いて造仏したもの
定朝により平等院の阿弥陀如来像で完成された彫刻和様化の造型が、長勢によっていっそう雅びに発展し、
唐様を脱却した洗練された和様化が実現されている
<広隆寺 木造寄木造彩色 十二神将立像(国宝)>
像高112~120cm
奈良時代や鎌倉時代のような忿怒の面相や形態はない
均衡のとれた穏やかさがあり、甲冑や衣文など細部までこまかく、気品と優雅を持っている
<広隆寺 木造漆箔彩色 日光菩薩立像(重要文化財)>
像高175.0cm
平安時代前期の特徴である威圧するような形態や量感はない
肩から腰部、脚部へと流れるなだらかな優美な線で構成されている
面相も、慈悲にあふれた優しい表情であり、 藤原貴族が好んだ典雅な気品が表現されている
肉身部や裳の裏返しの部分に金箔が施され、繊細な美しさを出している
<広隆寺 木造漆箔彩色 月光菩薩立像(重要文化財)>
像高174cm
日光菩薩立像と同様な作風
【その他】
<円派(えんぱ)>
平安時代中期から鎌倉時代の仏師の一派
長勢は、定朝の子 覚助と共に、定朝の直弟子として定朝没後の中心的な人物となる
円勢の父親あるいは師といわれ、円派の祖とされる
長円・賢円・明円と「円」の字を仏師号にもつ仏師が多いため名付けられる
<京都三条仏所>
平安時代中期、京都三条にあった仏師の工房
長勢を祖とする円派の仏師が活躍した
鎌倉時代には七条仏所におされて衰退した