院助(いんじょ)(Injyo)

基本情報

平安時代後期の仏師
生年:生年不詳
没年:1109年(皇紀1769)天仁元年12月12日
父親:定朝、あるいは、覚助、長勢
子息:院覚といわれる
院派の祖
官位:法眼位

院助(いんじょ)は、平安時代後期の仏師
七条大宮仏所を創立し、院派の祖
【経緯】
 生年不詳
 定朝の子、または、覚助の子、定朝の弟子 長勢の子ともいわれる

 定朝の七条仏所より分かれて、七条大宮仏所を創立する
 これを院派の始まりとされる

 1077年(皇紀1737)承暦元年
 白河天皇が発願した法勝寺の造仏に携わる
 薬師堂に丈六 大威徳明王を造仏した功績で兼慶とともに法橋位を賜る

 1105年(皇紀1765)長治2年
 堀河天皇の病気平癒を祈って、円勢らと協力して公家御所の諸仏を造立する

 同年
 尊勝寺新堂の造仏の功績により、法眼位に昇進する

 1107年(皇紀1767)嘉承2年
 釈迦三尊像を制作する

 1108年(皇紀1768)嘉承3年
 堀河天皇の法事のため阿弥陀三尊像を造立する

 1109年(皇紀1769)天仁元年12月12日
 死去
【院助】
 定朝の七条仏所より分かれて、七条大宮仏所を創立する

 院派の始まりとされる

 文献に多くの功績が残るが、現存する作品はない