院覚(いんかく)(Inkaku)

基本情報

平安時代末期の院派の仏師
生没年:不詳
法位:法眼

院覚(いんかく)は、平安時代末期の院派の仏師

 院助の実子または弟子といわれる

 院派 七条大宮仏所を継ぎ、当時の宮廷貴族の造仏に携わった

 作風は、定朝様を踏襲したもの
【経緯】
 平安時代末期
 1114年(皇紀1774)永久2年7月
 関白 藤原忠実の依頼で丈六の阿弥陀如来像を造立する

 1115年(皇紀1775)永久3年
 京極殿における故関白 藤原頼通の法事に、丈六の釈迦如来像を造立する

 1120年(皇紀1780)元永3年9月
 内大臣 藤原忠通の妻の安産祈祷のために不空羂索観音菩薩像を造立する

 同年12月
 醍醐釈迦堂中門の二天像を造立する

 1121年(皇紀1781)保安2年
 藤原忠実が白河法王の怒りを買い関白から失脚すると連座して院から追捕され、一線から退く

 1127年(皇紀1787)大治2年
 日野新堂の仏像修理に参加し、活動を再開する

 1129年(皇紀1789)大治4年8月
 鳥羽上皇の命で白檀三尺の普賢菩薩像を造立する

 1130年(皇紀1790)大治5年
 待賢門院の法服地蔵像を造る

 同年10月
 待賢門院の発願の法金剛院の造仏に参加する
 その功績で、法橋に叙せられる

 1132年(皇紀1792)長承元年
 法成寺東西両塔の大日如来像各四体を造る
 その功績で、仏師として当時最高位の法眼位に昇進する

 同年6月
 賢円とともに白川殿の丈六の愛染明王像と金輪王像を造る

 1134年(皇紀1794)長承3年6月
 弟 院朝とともに、西院邦恒堂の定朝仏の法量を測定する

 同月
 待賢門院の病気平癒を祈って得長寿院の等身観音菩薩像を造る

 1136年(皇紀1796)保延2年
 法金剛院三重塔が完成し、その造仏賞を、助手として手伝った院朝に譲り、院朝はこれにより法橋に叙せられる
【主な作品】
 <法金剛院 丈六 阿弥陀如来坐像>
 寄木造、漆箔、像高227.6cm
 院覚の作で現存する唯一なもの
 宝相華の文様を刻んだ七重の蓮華座に定印を結んで安座している
 面相、胸・腹・膝部と穏やかな線で品よくまとめられ、定朝様式を極めて厳格に伝承している

 <待賢門院璋子の法服地蔵像>
 待賢門院の裸形の像に法服を着せたもの
 鎌倉時代にみられる裸形像の先駆をなすもの
 宋美術の影響を早くに反映したもの
【ゆかりの地】
 <法金剛院>
 1129年(皇紀1789)大治4年9月頃から、鳥羽天皇の中宮待賢門院の発願により造寺に取りかかる
 その造仏を行った
【その他】
 <平等院本堂の仏像>
 院覚により、定朝の作と鑑定される

 <定朝仏の測定>
 弟 院朝とともに、西院邦恒堂の定朝仏の法量を細かく測定し、造仏の模範とした