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庭園様式
京都では、伝統的な日本庭園(にほんていえん)が寺院、離宮、宮廷、茶室などと共に数多く造営され、時代によりさまざまな様式の庭園が生まれ、日本の庭園文化の中心となっている

庭園様式:目次
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基本情報

京都で庭園が発達した要因
・京都の地形が盆地であって大小さまざまな清流に恵まれていた自然的条件があったこと
・三方を美しい山に囲まれ、ほどよい起伏の林や丘、池、湿地が多くあったこと
・チャートやホルンフェンス、花崗岩など豊富な種類の岩石が産出したこと
・庭園に適する植物の種類も量も豊富であったこと
・長らく日本の政治・文化の中心であったこと
 などがあげられる

補足情報

日本庭園の特徴
 水が深山から流れ出し大きな流れになってゆく様子が表現される
 石を立て、蓬莱島、鶴島、亀島などに見立てられる
 庭石や草木を配して、四季折々に鑑賞できる景色が造られる
 灯籠、東屋(あずまや)、茶室などが配置されることもある

【平安時代以前】

 <自然風景式庭園>
 海をかたどり、島を浮かべ、流れや滝を構え、石を沿える自然への想いを現す庭園が造られる
 また、中国から伝わった須弥山・蓬棄山など道教の世界観などを表現した庭園が造られる

【平安時代初期】

寝殿造庭園

寝殿造と称される貴族の住宅に、寝殿の正面(南側)に遣水から中島のある池に水を流し込むように造られた庭園
庭園では、曲水の宴などが行われていたといわれる
平安貴族の寝殿造庭園の様子は「源氏物語」などに描写されているが、当時の面影を伝える現存する庭園はほとんど残っていない
発掘調査で、高陽院(かやのいん)や堀河院などの庭園の一部が移築保存されている

 <「作庭記」(重要文化財)>
 自然をモチーフにした寝殿造庭園の作庭理念や、庭園の地割、石組、滝・遣水、植裁等の技法が記された秘伝書
 現存する最古の作庭書

 <大覚寺の大沢池 附 名古曾滝跡(国の名勝)>
 大沢池は、大覚寺の東側に位置し、月の名所で、離宮 嵯峨院庭園の貴重な遺構
 日本最古の庭池とされている
 名古曾滝(なこそのたき)は、大沢池のほとりにある滝

【平安時代中末期】

浄土庭園

浄土思想のもとで営まれた阿弥陀如来を中心とした西方浄土の極楽に見たてた美しい池庭が造られる
海岸風景をかたどる洲浜や荒磯、河川を模した小川である遣水(やりみず)、泉をとりかこんだ泉殿など浄土庭園の細部技法は、寝殿造庭園の延長線上にあり、中心の建物が寝殿から阿弥陀堂に代えられている

 <平等院庭園(国の史跡、国の名勝)>
 近年、藤原頼通時代の庭園意匠である洲浜(すはま)が復元される

 <浄瑠璃寺の浄土式庭園(国の史跡、国の特別名勝)>
 緑深い境内の中心ある、大きな池を中心とした庭園
 池の西岸に阿弥陀如来を祀る本堂と、池の東岸に薬師如来を祀る三重塔が残り、平安王朝寺院の雰囲気を伝える貴重なもの

 <法金剛院青女滝附五位山(国の特別名勝)>
 待賢門院が、極楽浄土をあらわす庭園を造園させた池泉回遊式浄土庭園
 青女の滝(せいじょのたき)
 平安時代末期の浄土式庭園の遺構で、現存する同時代の滝石組としては最大の規模を誇る
 平安時代の発願者、作者が明確であり、その遺構が残っている大変貴重なもの

【鎌倉時代】

 <南禅院庭園(国の名勝・国の史跡)>
 亀山法皇が、自ら作庭したといわれ、夢窓疎石の手で完成された
 心字池(しんじいけ)を中心として、周囲が深い樹林で包まれた池泉回遊式庭園
 京都の三名勝史跡庭園の一つといわれる
 京都で唯一の鎌倉時代の名園

【室町時代】

禅宗の繁栄と武家の格式を重んじる書院造の発展にともなって作庭技術が向上し、歴代将軍が作庭を好んだこともあって、多くの名庭園が作られた
夢窓疎石など、著名な作庭家が輩出される

枯山水庭園

風景を自分の感性で組み立てなおした心象風景を表現する庭園
遣水や池などの水を使わずに、砂利や石の配置によって水の流れを表現し、一つの石や小さな刈り込みの樹木で大山を表現する技法

 <天龍寺の庭園(国の史跡、国の特別名勝)>
 夢窓疎石の作
 方丈の西側にある、遠景の嵐山と、近景の亀山の借景式庭園
 亀山東麓に配された曹源池(そうけんち)を中心として、方丈側東岸に大小の出島が設けられている池泉回遊式庭園

 <銀閣寺の庭園(国の特別史跡、国の特別名勝)>
 足利義政自身が直接作庭を指示した、池泉回遊式庭園
 本堂前には、白砂を段形に盛り上げた銀沙灘(ぎんしゃだん)や円錐形の向月台があり、錦鏡池をめぐる室町時代の面影を残す庭園部と好対照になっている

 <西芳寺庭園(国の特別名勝・国の史跡)>
 夢窓疎石の作庭
 向上関(こうじょうかん)を境に、上段の洪隠山枯山水石組みの庭園と、下段の黄金池(おうごんち)を中心とした池泉回遊式庭園の2つの庭から成っている
 黄金池には、朝日島、夕日島、霧島と呼ぶ3つの島があり、池の周囲は100種類以上といわれる苔で覆い尽くされており、通称「苔寺」と呼ばれるようになる
 苔は夢窓疎石の時代からあったものではなく、江戸時代末期に荒廃した庭園が苔で覆われるようになったといわれる

 <大仙院の書院庭園(国の史跡、国の特別名勝)>
 東と北にわたる鉤形の狭い敷地に樹木、景石、白砂が配された室町時代の代表的な枯山水庭園
 大石を立てて蓬莱山から落ちる滝口とし、滝口下には白砂を敷いて水流として、中央下段には、渓流が大河となるさまを白砂敷の中に船形の石を配して表現されている

 <大仙院の方丈南面の庭園(国の名勝)>
 大海を表す砂庭

 <真珠庵庭園(国の名勝・国の史跡)>
 侘び茶の祖 村田珠光の作庭
 7・5・3と合計15個の石が配されており、「七五三の庭」と称される枯山水庭園

 <霊雲院庭園(国の名勝・国の史跡)>
 縮小蓬莱枯山水庭園
 狭い敷地に、枯滝と蓬来山水の構成を兼ねた石組

【安土桃山時代】

茶庭(露路)が、茶の湯の文化とともに、茶室に付属して成立する

「市中の山居(さんきょ)」と称されるように、都市にありながら山中にあるかのような場を作り出す
露路は、近世以降の京町家の坪庭に発展していく

 <西本願寺大書院庭園(国の特別名勝)>
 対面所東側の虎渓の庭(こけいのにわ)
 桃山様式屈指の枯山水庭園

 <圓徳院庭園(国の名勝)>
 圓徳院内の北側にある庭園
 伏見城の北政所化粧御殿の前庭を移したもので桃山時代の気風の枯山水庭園

 <退蔵院の元信の庭(国の名勝、国の史跡)>
 西側を主庭とする枯山水庭園
 「都林泉名勝図会」には、狩野元信(かのうもとのぶ)の作と記されている

 <三宝院の庭園>
 応仁の乱の兵火で焼失するが、豊臣秀吉により再建され、桃山建築の美しさが残る
 書院造庭園は、豊臣秀吉が自らが設計したといわれ桃山時代の名園

 <聚光院庭園(国の名勝)>  百積の庭
 千利休の作庭
 苔の枯山水庭園

【江戸時代初期】

書院造庭園

 武家の邸宅の庭園
 書院における主従対面の儀式の場を飾る座観の庭園が多い
 主人の社会的あ権威を誇示するかのような豪華な造形がなされている
 邸宅だけでなく、寺院の方丈にも展開される

回遊式庭園

大名屋敷や公家が営んだ、池を茶室に配して連歌や茶の湯を楽しみ、庭園内を回遊することができる庭園
王朝時代の優雅な風流を受け継ぎ、大名の饗宴の空間にもなる
最も一般的な形式は池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)と呼ばれるもので、大きな池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして、築山、池中に設けた小島、橋、名石などで各地の景勝などを再現した。園路の所々には、散策中の休憩所として、また、庭園を眺望する展望所として、茶亭、東屋なども設けられた。

 <二条城の二の丸御殿庭園(国の特別名勝)>
 別名「八陣の庭」
 池泉回遊式庭園で、庭師 小堀遠州の代表作の一つ
 池には、3つの島が浮かび、池の中央やや北よりに、もっとも大きい蓬莱島があり、その北に亀島、南に鶴島がある
 池の北西部には、二段の滝がある

 <桂離宮の池泉回遊式庭園>
 八条宮2代の智忠親王(としただしんのう)によって源氏物語の風景が取り入れられる
 桂川の水を引いた池を中心に、茶屋、築山、州浜、橋、石灯篭などを配している
 茶屋に、松琴亭(しょうきんてい)、賞花亭(しょうかてい)、笑意軒(しょういけん)、月波楼(げっぱろう)の4棟がある

 <南禅寺方丈庭園(国の名勝)>
 「虎の子渡しの庭」と称される
 小堀遠州の作庭作といわれる江戸時代初期の代表的な枯山水庭園

 <円通寺庭園(国の名勝)>
 一面に苔で覆われた比叡山の借景庭園
 後水尾天皇が眺めた名勝庭園

 <金地院の庭園(国の特別名勝)>
 小堀遠州を起用して、将軍の御成を迎える祝儀の庭園や茶室「八窓席(はっそうのせき)」(重要文化財)が造られる
 庭園(国の特別名勝)は、方丈南に位置し、「鶴亀の庭」と称され、鶴島・亀島を設けた枯山水庭園
 小堀遠州作庭の詳細な記録もあり、江戸時代初期の貴重な遺構

 <詩仙堂の唐様庭園>
 庭園造りの名手でもある石川丈山自身により設計された唐様庭園(からようていえん)
 堂の東南には滝「洗蒙瀑(せんもうばく)」がある

 <渉成園(しょうせいえん)(国の名勝)>
 宣如(せんにょ)が、徳川家光より土地を与えられ、隠居後に、石川丈山らと作庭する
 陶淵明(とうえんめい)の詩にちなんで名付けられた池泉回遊式庭園
 枳殻(からたち)が植えられていたことから「枳殻邸(きこくてい)」とも称される

 <玉鳳院庭園(国の名勝・国の史跡)>
 蓬来式枯山水庭園
 枯滝、蓬来石の石組などがある

 <高台寺の庭園(国の史跡、国の名勝)>
 小堀遠州の作
 開山堂を挟み、西の偃月池(えんげつち)と東の臥龍池(がりゅうち)の2つの池がある

 <智積院の庭園(国の名勝)>
 大書院に面した庭園
 中国の廬山(ろざん)を模したといわれ、千利休好み

 <本法寺庭園(国の名勝)>
 三巴の庭
 書院前の桃山風の枯山水庭園
 本阿弥光悦の作庭

【江戸時代中期】

 <霊洞院庭園(国の名勝)>
 書院の南から東へ矩形にひろがる池泉回遊式庭園

【明治時代以降】

 実業家や政治家などにより有名な庭園が造営されるようになる
 第3代・第9代内閣総理大臣の山縣有朋(やまがたありとも)は、庭園好きで知られ、京都の無鄰菴、東京の椿山荘などを建立させている

 岡崎 南禅寺付近に、琵琶湖疏水を利用した別荘庭園群が営まれるようになる
 庭師では、植治こと七代目 小川治兵衛が有名で、名所の風景ではなく、野山に小川が流れる身近な里山の風景が表現される
 重森三玲により斬新な枯山水の庭が造られる

 <無鄰菴庭園(国の名勝)>
 明治時代・大正時代の元老 山縣有朋が、小川治兵衛に京都の別荘として作らせた日本庭園

 <平安神宮神苑(国の名勝)>
 本殿の背後一帯は、約3万m2からなる広大な池泉回遊式庭園の神苑
 東・西・南・中の4苑からなり、
 南苑以外は、7代目 小川治兵衛が20年以上かけて造った名園で、明治時代・大正時代の庭園の傑作

 <白沙村荘庭園(国の名勝)>
 広さ約2200坪の池泉回遊式庭園
 橋本関雪の設計
 大文字山を借景として、杉木立の中の石塔や大小の池の周囲に平安時代・鎌倉時代の石灯籠、石仏などの石造美術が約180点が配置されている
【作庭年代不詳】
 各時代に作庭された名庭は、姿を変えることなく残されたり、新たな時代に修繕や様子を変えて造り直されたりしたため、作者、作庭年代、表現意図などを特定することが困難なものも多い

 <龍安寺の方丈庭園(国の史跡・国の特別名勝)>
 「龍安寺の石庭」と称されるほど著名な枯山水の石庭
 幅25m、奥行10mほどの敷地に白砂だけを敷き詰めて、15個の石を5か所(5・2・3・2・3個づつ)に点在させただけのシンプルな庭
 「虎の子渡しの庭」「五智五仏(ごちごぶつ)」「七五三の石組み」「心字(しんじ)の象形(しょうけい)」などとも称される
 作者、作庭年代、表現意図などは不明である

 <酬恩庵の庭園(国の名勝)>
 方丈東庭は、「十六羅漢の庭」として有名
 南庭は、方丈前庭で白砂敷
 北庭は、枯山水で、東北隅の大立石を主石として、まわりに多くの名石を配置されている

 <清水寺成就院の月の庭(国の名勝)>
 借景式庭園で池泉回遊式庭園
 巧みに配された烏帽子石、誰が袖手水鉢、蜻蛉燈籠、手鞠燈籠が配される

 <金閣寺の庭園(国の特別史跡、国の特別名勝)>

 <孤篷庵の庭園(国の史跡、国の名勝)>

 <大徳寺方丈庭園(国の特別名勝・国の史跡)>
 賀茂川の黒大石と、紀州の青大石を並べて滝口として、その下に平石を置いて渓流をかたどったもの

 <曼殊院書院庭園(国の名勝)>
 枯山水庭園
 曼殊院型石燈籠が置かれている

 <桂春院庭園(国の名勝・国の史跡)>

 <今日庵(裏千家)庭園(国の名勝)>

 <照福寺庭園(国の名勝)>

 <滴翠園(国の名勝)>

 <清風荘庭園(国の名勝)>

 <對龍山荘庭園(国の名勝)>

 <燕庵庭園(国の名勝)>

 <東海庵書院庭園(国の名勝・国の史跡)>

 <不審庵(表千家)庭園(国の名勝)>

 <妙心寺庭園(国の名勝・国の史跡)>
【主な作庭家】
 石川丈山
 善阿弥
 雪舟
 小川治兵衛
 小堀遠州
 重森三玲
 夢窓疎石
 金森宗和
 重森千青
【その他】
 <都林泉名勝図会>
 江戸時代後期の京都の名庭園を網羅したガイドブック
 
 <庭屋一如>
 庭と建物の調和がとれて一体になるようなさまのこと

 <水琴窟>
 手水鉢の近くの地中に空洞が造られ、そこに水滴を落下させることで、琴の音に似た音を響かせる仕掛け